現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

春の雪と配り物でたくさん歩いたことと


建国記念の日


なんとなく朝起きて、カーテンの隙間から外をのぞくと、なんと雪が降っていて驚く。昨夜はオコナイさんの酔いもあって、なんだか早く寝てしまったから、天気予報も見ずにしまったらしい。
ま、降っているものは仕方がない、それなりの準備をして、犬と散歩に出る。春の雪なので、大きく湿っていて、重い雪です。


で、久しぶりにiPhoneで雪の動画を撮ったのでその編集をする。


農事の役員さんの名簿をもらいにいって、役員会の案内を作って役員さんの家に配って歩く。


それから先日の利用権の設定をしてもらいに地主さんのところを何件か歩く。
今日は寒かったので、毛糸の帽子をかぶりフィールドコートを着てずいぶん歩いたのでした。




このところFacebookにブログの更新のお知らせとか、何か投稿するときは辻井農園のFacebookページの方に投稿するようにしているのだが、辻井農園のFacebookページに「いいね!」をしていただいている人にしか、僕の投稿は表示されていないと思うのだが、その「いいね!」の数が現在13である。まあ、いいのだが、もうちょっとなんとかならんかと思うが、これはこれでこういうものかもしれない。


今朝の日本農業新聞中村桂子氏の文章が載っていた。以下その要約。


うれしい知らせが来た。日本農業賞・食の架け橋賞大賞をJAたじま(兵庫県)と喜多方市教育委員会(福島県)が受賞したというのである。大賞が2件になったのは今年が初めてとのことだ。実はこの2件、ともに小学生の関わるところでささやかなお手伝いをしている。その体験から農業のこれからを考えるときに小学生が鍵ではないかと考えるようになっている。それほどこの2つの活動からは学ぶことが多いのである。

まず喜多方市では2006年に小学校「農業科」を始めた。当時、グローバル化の波の中で、小学生にも英語やコンピューター教育が必要という声が高まっていた。特に、コンピューターでは株の扱いなどを教えることも必要と言われていたのを思い出す。

それに対してコンピューターの中の株より畑の蕪について知るほうが大事ではないかと書いたところ、それを読んだ当時の市長が思い切った活動を始めてくれたのである。当初3校で始まった「農業科」は、今や市内全小学校(17校)の3年生から6年生まで1900人が参加する本格的活動になった。

先生たちは農業の専門家ではない。そこで活躍するのが農家の方、特にお年寄りだ。見事な野菜を作るお年寄りを、子ども達は尊敬の眼差しで見る。こうしてお年寄りの活躍の場ができると同時に、世代間のつながり、地域と学校のつながりが生まれている。収穫した作物を家に持ち帰って皆で食べると家族が笑顔になる。

「野菜のパワーはすごいです」と作文にあった。毎年送られてくる子供たちの作文集は読みでがある。「収穫したお米と小豆で作ったお赤飯を一人暮らしのお年寄りに届けたら、泣いて喜んでくれました」という文から、彼らが単に作物づくりや収穫の喜び以上のものを学んでいることがわかる。年々子供たちの作文が上手になっていく。体験に基づいて内から生まれてくる表現が人を惹きつけるのである。

もう一つのJAたじまは、コウノトリの野生復帰を願い、「コウノトリ育む農法」を着実に広げている。その中で私が応援しているのは豊岡市立新田小学校の子ども達であり、ドジョウ等の生き物のいる田んぼづくりに励んでいる。魚道作りに始まり、収穫したお米を給食に使ってもらおうと市長に働きかけるなど、ここでも小学生たちが自主的に活動をしている。

この2つの小学校の活動を見て、ここで育まれたものこそ「生きる力」であると確信する。喜多方市はこれを「豊かな心」「社会性」「主体性」としているが少し柔らかく言うなら、いつも笑顔で人とのつながりを大切にする一方、自分で考え自ら行動する力を持っているということだ。 人と交渉する能力、自分を表現する能力を見事に身につけている。

安倍晋三首相は、日本を「強い国」にしようと呼びかけている。首相はお金や武力を意識されているようだが、本当に強いのは人間力のある国だろう。農業は作物を生産するだけでなく、人間力を育てることも小学生たちの例で示された。その意味でも、農業を国の基盤に置き、本当の豊かな国を作っていくという政策を考えてほしいと心から思う。



なんとなく、この文章は手前味噌な感じですが、農業体験をして生きている子ども達が年々作文が上手になってきているというのが、僕はいいと思いました。

春の雪の動画、720HD画質でご覧ください。