現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

宮沢賢治の『稲作挿話』


終日、陽が射したり、曇ったり、雨が降ったりという、時雨模様。気温も低いと思う。


大豆の選別はやめて、農事組合の徴収を計算させるためにファイルメーカーをあれこれさわって、プリントして、照し合せをしてミスがないか確認する。


今朝の日本農業新聞で、信州大学教育学部の先生が、将来、先生になる大学生に農業体験をさせている、というコラムに宮沢賢治の『稲作挿話』が少し引用されていた。宮沢賢治は昔、一通り読んだはずなのだが、すっかり忘れている。




宮沢賢治 『稲作挿話』


   あすこの田はねえ

   あの種類では窒素があんまり多過ぎるから

   もうきっぱりと灌水(みづ)を切ってね

   三番除草はしないんだ

     ……一しんに畔を走って来て

       青田のなかに汗拭くその子……

   燐酸がまだ残ってゐない?

   みんな使った?

   それではもしもこの天候が

   これから五日続いたら

   あの枝垂れ葉をねえ

   斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ

   むしってとってしまふんだ

      ……せわしくうなづき汗拭くその子

       冬講習に来たときは

       一年はたらいたあととは云へ

       まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた

       いまはもう日と汗に焼け

       幾夜の不眠にやつれてゐる……

   それからいゝかい

   今月末にあの稲が

   君の胸より延びたらねえ

   ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ

   葉尖を刈ってしまふんだ

     ……汗だけでない

       泪も拭いてゐるんだな……

   君が自分でかんがへた

   あの田もすっかり見て来たよ

   陸羽一三二号のはうね

   あれはずゐぶん上手に行った

   肥えも少しもむらがないし

   いかにも強く育ってゐる

   硫安だってきみが自分で播いたらう

   みんながいろいろ云ふだらうが

   あっちは少しも心配ない

   反当三石二斗なら

   もうきまったと云っていゝ

   しっかりやるんだよ

   これからの本統の勉強はねえ

   テニスをしながら商売の先生から

   義理で教はることでないんだ

   きみのやうにさ

   吹雪やわづかの仕事のひまで

   泣きながら

   からだに刻んで行く勉強が

   まもなくぐんぐん強い芽を噴いて

   どこまでのびるかわからない

   それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ

   ではさようなら

     ……雲からも風からも

       透明な力が

       そのこどもに

       うつれ……




大昔に、一度読んでいるはずなんだが、当時は農業もしていなかったし、あんまり記憶に残らなかったんだろうな。農業用語もその時は理解できていなかったのかも。でもこの農業を学ぶ少年を励ます詩はすばらしい!農業をやっていると、確かに「からだに刻んで行く勉強」ということの大切さがよくわかります。
もちろんたくさんの知識を脳に詰め込むことの大切さもわかっているつもりだけれど、「からだに刻ん」だものには、かなわないんだなぁ。
小学校の時に父親を亡くし、もちろん小学校の時から手伝いをしていたはずだが、小学校卒業と同時に百姓になった父が「からだに刻んできた勉強」には、かなわんわけです。なんていうか作物を観る目、観察眼がまず違うんだなぁ。もちろん僕も少し経験もつんだし、本も多少は読んだし、農協やいろんな研究会など勉強の場に出かけていったりしているけれども、実際に自分の作っている作物、稲を観る目を養うというのが一番なのでしょう。それが僕の「これからのあたらしい学問のはじまり」ということなんでしょうね。50歳を過ぎて、勉強だの、学問のはじまりだの、お笑い草ではありますが、ま、コメ作りに関しては、もっともっと上手においしいお米を作れるようになりたいんだなぁ。


やっぱり、昨日のTPPのことみたいな、ちょっと政治的な話より、今日みたいに詩の話から始まる方がいいなぁ。
政治家も詩書画三絶とは言わないが、ちーっとはそういう稽古もしているような、主義主張を目を吊り上げて声高に言うだけでない、懐の大きな人に政治を任せたいところです。「商売の先生」ならぬ「商売の政治家」でない政治家にね。って、またこんなこと書いたりするのですが。