現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

小麦の播種を終えたこととジョージ・オーウェル『動物農場』

ジョージ・オーウェル作 開高健訳『動

31日(土)
知らないうちにというか、今日は旧暦では長月19日。月齢は18.1だそうです。
今朝は、西の空に大きな白い有明の月がのこっていました。


終日、小麦の播種。
これでぜんぶ播種を終える。今日はぜんぶ一人で播種したので、時間がかかったり、いろいろトラブルがあった。トラクタに乗ってシーダーで播種するわけだが、運転席から、すべてが見えるわけではないので(運転席の後ろにロータリーやらシーダーをつけているので)、トラブルに気がつくのが遅れるんだなぁ。あとからうまく播けていなかったりするのに気がつくことになるんですな。ま、そういうあれこれ気を走らせなければいけませんな。
でもこれで小麦を播き終えて、あとは大豆の刈取りです。



昨日,車を走らせていたら、同じ町内の鉄骨関係の建設会社の玄関に、鉢植えの、三本仕立てにした菊が見事に咲いているのが、三鉢あって、ああ、菊の季節になったんだなぁ、と思ったことなのだが、今日は、土曜日だけど、乾燥中の大豆の水分を計りに農協にいったのだが、そしたら菊の鉢植えが二つ並んでいた。大輪の黄色と白の菊である。
うーむ。
菊の節句重陽節句長月九日。もう、過ぎてしまっていたでした。
僕が小学生の頃、祖母はたぶん菊作りに凝っていたんだと思いますが、玄関にいくつもの菊の鉢を仕立てていました。白、黄色、紫、大輪も、小菊も。今から思うと、見事な鉢植えだったと思うのですが、当時の僕はそんなことはよくわからなかったけれど、家に来る人が、みんな菊を褒めていたのは憶えています。
菊は昔から薬草として使われてきたようだし、(菊の花びらとか葉も天ぷらとかにしますよね)、延寿、長寿の力があるといわれてきたような。花の期間が長いからかなぁ。「菊慈童」の伝説もありますね、能になっているようです。
でも僕としては、菊といえば、大宰の『清貧譚』だなぁ。もともとは『聊斎志異』の中の話をヒントにして書いているんだけれど、うーん、なんだったかな、調べたら「黄英」でした、お姉さんの名前ですな。




ジョージ・オーウェル作 開高健訳『動物農場』(ちくま文庫)読了。いいねぇ。何度読んでもいいねぇ。今まで、僕は角川文庫で読んできたので、高畠文夫訳で読んできたことになりますな。
実は、開高健ファンを公言していたのに、開高訳の『動物農場』を知らなかったのである。もともとは1984年刊の筑摩書房の『今日は昨日の明日 ジョージ・オーウェルをめぐって』を再編集されたものらしい。道理で、付録として開高のエッセイが数編付いています。いや、この付録のエッセイもすばらしいけれど。この付録のエッセイは読んだような記憶があるのだが、開高健にはたくさんオーウェルについての文章もあるので、混同しているのかもしれない。


オーウェルはもちろん開高健のエッセイの中で教えてもらったのである。『1984年』もいいが『象を撃つ』も『カタロニア讃歌』もいいですな。でもって、最高傑作はやはり『動物農場』ではないかな、と僕も思います。
開高健による解説をまとめると、
”左翼、中道、右翼を問わず、一切の政治的独裁、あるいは革命というものの運命を描いてあります。一切の革命の時に登場する諸人物、役割、それらが全部描いてある。それらが極めてヴィヴィッドに描いてあるわけです。革命なるものの共分母を抜き出してきて描いてあるわけです。みごとに描いてある。だからヒットラー独裁政権にも通用するし、スターリンの独裁時代にも通用するし、毛沢東時代にも通用する。それぞれの諸人物が全部思い出せる。みごとな作品です。”
ということになります。
でもね、これは今の日本の現状をも映し出しているんだとつくづく思いながら、読んでおりました。それは、農場の動物たちが、どんどんよく忘れていくんです。決まり事がいつの間にか変えられてしまっている。スローガンがいつの間にか変わっている。デマが流れる。公約が守られない。公約がいつの間にか変わっている。
これって今の日本にもたくさんあるよなぁ、と思いつつ。
と思っていたら、「後記にかえて」という文章の最後にこんなことが書いてある。


”今世紀の作家としては、オーウェルは希有に背骨が太く、’痛切’のテーマと感情を訴える人だったと思われる。しかし、ユーモアや、澄明、簡潔などの心と言葉の作法をわきまえていたし、語って説かずの態度も保持していた。長編、短編、エッセイ、それぞれに味わいの変化がある。しかし、つねに、「自由か、あらずんば死か」の覚悟をしたたかに下腹につめてペンを運ぶ気風と気迫が電流のように紙からつたわってくるのが魅力だった。政治家の汚職だろうと、個人の私行だろうと、モンダイになるものが発生すると、たちまち集団ヒステリー症を起こしてシロかクロかの議論だけしかできなくなるニッポン人の全体主義者風の心性にはがまんならないが、これはどうやら根がどこまで入っているのかまさぐりようがないくらい、深くて、しぶとく、そして卑小である。その心性が明をも生み出し、暗も生み出すのだが、今後もずっと肥大し続けることであろう。
ヴェトナム戦争の時の議論もそうであったし、方角とフィールドはまったく異なるけれど、小林秀雄についての議論もそうであった。もともと”議論”というようなものではないのである。合唱、そしてたちまちの忘却があるだけで、テーマがどう変わってもその裏の心性はいつまでも同じである。路上の人も室内の人も、兵隊アリも本読み屋も、テレビのアチャラカ芸人も新聞社の論説委員も、背骨がないということではまったく変わることがない。”


これは1984年の5月に書かれたものだけれども、30年ほど経っても、なんら変わっていないような気がする。とくに”合唱、そしてたちまちの忘却”とか。
秘密保護法のことも、安保法制のことも、TPPのこと(関税の問題だけではなく、医療や保険やISD条項のこと)、原発の事故のこと、今でも放射能が大気中にも、海にも垂れ流されていること、などなど。国民はたちまちのうちに忘却するであろう、広報・宣伝活動で不都合なこともなんとかごまかせるだろう、と。(独裁的な)政治家はみんな同じように考える。みんな1945年に出版された『動物農場』に書いてあるのである。夜更けに、大人が、暗澹として読む寓話、誰かがそんなことを書いておりましたが、ユーモアも、簡潔も、澄明もありますな。


10月も終わります。