現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

昆布茶と北風が強く吹いて寒い一日。


4日(月)
午前中はお米の精米など。
午後はお米の配達など。


辻井農園のお米をお歳暮に使いたいとご注文をいただいたので、精米して米の袋に熨斗紙をかけて箱詰めして発送いたしました。年末年始にピカピカのおいしいお米も、きっと喜んでいただけると思います。日ごろの感謝やお礼の気持ちが届くように発送いたします。ぜひ、ご利用ください。うーむ。コピーライターのようにはなかなか書けませんね(笑)。



昨日から昆布茶を楽しんでいる。正真正銘の昆布茶である。出汁昆布用の乾いたカチカチの昆布を小さくちぎって、茶碗に入れて、そこへ熱湯を注ぐだけ。うん?ようするに昆布出汁か。これがまあ、ほのかな味わいでうまい(笑)。


夜、用事と用事の間に時間があったので、喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。ガラスのデキャンタで運んできてもらう。ま、ちょっと違和感があるのだが、カップ二杯分になるので、ちょっとうれしい。



5日(火)
朝から寒い。風が冷たいし。今日の最高気温は何度だったんだろう。
午前中、トヨタフォークリフトの方とあれこれ話をしていてリフトをこんどメンテナンスに出すことにする。ま、購入以来ずっと整備せずに使ってきたのでここらでメンテナンスしてもらうことにしたのだが・・・。うーむ。大豆の品質が悪くてどれくらい出荷できるかわからない状況なのに、出費だけはつぎつぎ容赦なくやってくるぜ。


午後は大豆のコンテナを運んだり、ふっと気がついたのだが、小麦の播種のあとシーダーの後始末をしていなかったことに気がついて、肥料や種を出し、圧縮エアで細かい肥料のカスを吹き飛ばし、高圧洗浄機で洗い流し、また圧縮エアで水滴を吹き飛ばして乾かす。冷たい北風に吹かれながらお作業なので、水洟がでてくるぜ。やれやれ。
夜には、雨かひょっとすると雪かもなどと天気予報なのだが・・・。


そういえば、書き忘れていたが、11月30日の日本農業新聞のコラムにこんな記事が。

民芸運動を興した柳宗悦は、日本を「手の国」と言った。営々と培われた手の技が、技術立国の礎を築いた。柳は廃れていく手仕事に光を当てた。それは機械に使われ、働く喜びをなくした近代への抵抗運動でもあった▼今、日本の物づくりの現場が危うい。鉄鋼、金属大手メーカーでデータの改ざんが相次ぐ。日本経団連会長のお膝元の企業でも不正が発覚。自動車メーカーでも無資格検査が長期間行われていた▼手仕事の「手」は、手間を惜しまぬ手、妥協を許さぬ手のことだろう。手塩にかける。手腕を発揮する。手本になる。みんな「手」に由来する。引退する横綱日馬富士は手段を間違えたが▼大企業を相手に技術力で勝負する町工場の奮戦を描いたテレビドラマ「下町ロケット」。製品の最終仕上げを手作業で点検する場面がある。「人の手で触れ、目で見ないと分からない感覚を大事にしているんです」▼製造業はITやロボットが主流。農業もドローンやパソコンが作柄診断する。熟練職人や篤農家の手仕事がコストや効率の前で軽んじられる。それで品質を犠牲にし、信用を失うなら本末転倒。「手は直接心とつながっている」が柳の持論だった。手仕事をおろそかにすることは、物づくりの心を粗末にすることにほかならない。

以前、というか、ちょうど一年前のブログにも書いたのだが、開高健の「手を忘るな」という言葉は忘れられない。「手を忘るな」は学生時代に知った言葉なのでもう35年も前になるのだが、忘れられない言葉になりました。それがさらに農業をするようになって、いよいよ忘れられない言葉になりました。で、台所仕事や編み物をしているうちの奥さんを見るときにも、ふっと思い出したりします。
日本がかつて、手間を惜しまぬ手、妥協を許さぬ手の「手の国」だったことは間違いないですが、それは日本だけではないはず。
今日、農機を水洗いしたり、圃場の溝を鍬でさらったり、お米を買ってくださったお客さんに礼状を書いたり、熱いうどんにのせるためのネギを刻んだりしているとき、「バクチでもいいから手を使え」と孔子が言ったらしいことを思い出したりして、ニンマリしています(笑)。「バクチでもいいから手を使え」と言われても、バクチに使ってみようかと思うそのお金がすでに惜しく思えてしまう自分に苦笑いしているのですが。