現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

11月が終わり12月になったことと『晩春』とマル経と近経


30日(月)
 午前中は精米など。お昼にスーパーに行き、ビールとツマミを買ってしまう。午後はなんだか寒くて田んぼに出る気力が沸いてこないので、蒲団にもぐり込んで本を読んだり、うつらうつらしたり。
 などとしているうちに11月が終わる。新暦では月末だが、旧暦では十月、神無月の16日で月齢は14.9の満月です。満月ですが十六夜の月となりますな。雲が多かったのですが、夜中にふっと瓦を見たら光っているので空を見上げたら雲間に一瞬大きな月が出てました。すぐに隠れてしまいましたが。


1日(火)
 今日から12月ですな。師走です。
 このところビビ号がわりと朝早くから外に出せ、と鳴くことが多いので、今朝もまだ日の出前の少し暗いうちから散歩に出る。道路の街灯はまだ点いているし、車もヘッドライトをつけて走っている。東の空はオレンジ色になっているが、雲があってまだ暗いのだ。ふっと西の空を眺めたら、これまた一瞬だけ大きな満月が沈まずに浮かんでいた。


 朝のうちに精米など。それから野暮用でNTT西日本のお客様サービスに電話をかけたら、そういうことならDoCoMoの総合窓口に電話をしてくれ、と言われる。この手の総合窓口サービスに電話すると必ず用件毎にさらに番号を押せと言ってくる。そうして短くても3分ほど。長いと15分ほども待たされる。やれやれ。
午後は畦畔の草刈りに出る。17時過ぎまで作業していたら、たぶん日没で少し暗くなってきた。どうも刈払機のエンジンの調子が悪い。回転がどうも不安定である。弱るぜ。


 小津安二郎監督『晩春』(1949)を観る。観るのは二回目。原節子笠智衆。娘の結婚というドラマですな。笠智衆は映画の中では56歳で大学教授という役ですが、このとき、何歳かというと、1904年生まれだから、45歳か。僕が小さい頃は定年は55歳でしたからね。
 ま、幸せは結婚して二人で一緒に作り上げていくものではありますね、確かに。
 原節子小津安二郎のコンビの始まりの映画です。月丘夢路が演じる親友と原節子の会話がおもしろいが、やっぱり当時の東京の女子はあんな風な言葉遣いだったのだろうか。杉村春子の演技というか身のこなしというか、立ち居振る舞いとうか、動きが粋ですな。


 斎藤幸平『人新世の「資本論」』を先日から読んでいるのだが、資本論というと大月書店ですな。
 大学の生協の書籍コーナーの中の四角い柱の4面それぞれに小さな文庫本の書棚が取り付けられていました。そのある面の棚に大月書店の文庫本が入っていたのを覚えています。隣の面の書棚にはなぜか官能小説の文庫の棚でした(笑)。大月書店の国民文庫マルクスの『資本論』や『共産党宣言』なんかの文庫本が並んでいたのを覚えています。あまり売れているとは思いませんでしたが。ええ、僕も両方とも未読です。
 下宿に経済学部のY君がいたけれど、一般教養課程から専門課程に移るときに、彼が自分の部屋で同じ経済学部の友達と「マル経の先生と、近経の先生と、どっち選ぶが?」なんて会話をしてるのをそばで聞いたことも思い出した。マル経というのはマルクス経済学。近経というのは近代経済学のことなんでしょう。「マル経なんてもう古過ぎんがけ?」「就職の時にマル経とか不利にならんが?」とかの話も聞いたような(笑)。そこへ同じ下宿の経済学部の一年先輩のFさんが帰ってこられて、ワイワイと熱心に話をしているようなので、「お、賑やかやん。」と部屋をのぞかれて、会話に入ってこられた。今はそういうこともないのかもしれないが、昔の下宿って、だいたいこんな感じで気楽に誰かの部屋に集まったものでした。
 「古かろうが、なんだろうが、マルクスはホンモノやで。資本主義経済がどういうものか、ということを勉強するつもりなら、マル経も近経も同じことやで。古いとか新しいとかは関係ないし。古いものを学ぶことによって現代が見えてくることも多いやろ。」「ソ連や中国の現実の政治システムとマルクスの考えていた経済システムとは、また別のものなんやが。マルクスの言う“コミューン”って、実際のところどういうものなんやろな」「もしマル経を勉強している学生を採らないという会社なら、そんな会社には行く必要がないし、今頃、そんな採用方針の会社はないと思うけれど、いっぺんマル経にいってみて、どうなのか、実際に経験してみてほしいわ。」としゃべっていかれました。ちなみにその経済学部の下宿の先輩のFさんは留年を重ねて、その後、同級生になり、さらに後輩になってしまわれました。
 うーむ。1981年の秋の話なんですが。あれから40年が経とうとしているということにギョッとなりますな。
 その後ソ連は崩壊したし、東欧の独裁国家も崩壊して、資本主義経済がグローバルに世界市場を席巻しているのだが、その結果、ものすごい格差社会が生まれ、気候変動が激しくなり、世界人口は増え続け、大気中の二酸化炭素は増え続け、地球は温暖化がすすみ、地球上のあらゆるところがさまざまなゴミで汚され、もうこのままいけば、2030年とも2040年とも言われているけれど、元にもどすことができない地点(ポイント・オブ・ノーリターン)にいきつくと言われています。要するに、今のままの資本主義経済でいいはずがないんですね。(すでに破綻している?)
 今、読んでいる斎藤幸平『人新世の「資本論」』の表紙のカバーには「気候変動、コロナ禍・・・。文明崩壊の危機。唯一の解決策は潤沢な脱成長経済だ。」とあります。そうして坂本龍一白井聡松岡正剛、水野和夫、絶賛!ともあります。もっとも坂本龍一しか名前は知らないんですが。
 今、2/3ほど読みすすんだところです。
 そういえば、また思い出したけど、学生の時、集中講座で文化人類学の講義を何時間か、数日聴いたのだが、その時、W先生は「人類が、とくに先進国の人類が、今のままの暮らしを続けるのなら、さらに、このまま世界人口が増え続けるのなら、近い将来、そう遠くない将来に、地球の環境は激変して、地球に暮らしている生き物の生態系も大きく変わるし、人類も存続の危機になる、というのは文化人類学者の、だいたい共通した認識です。」とおっしゃったのもよく覚えています。1980年代前半です。