現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

終日の雨と昼のビールと『ジジイの片づけ』

 今日も早起き。というか早起きが普通になってきている。夜中はけっこうな雨だったが、起きたら雨は小降りになっていた。でも今日は終日雨。夕方はすこし風が強く吹いた。
 まだ暗いうちに起きて、窓の外が明るくなってくるのを眺めているのは悪い気分じゃないけど、今日みたいに曇り空だと面白みにはかける(笑)。

 というわけで早起きして事務仕事をして、精米。そうして長浜の本局から発送する。
 帰りに近所のスーパーによって豆腐と油揚げとウルメイワシ丸干しと赤かぶの漬物とビールと日本酒を買ってくる。やれやれ。

 買ってくると飲みたくなる。もう今日の仕事の大半は終わったようなものだし、お昼にビールを一本いただく。うまい(笑)。赤かぶの漬物でいただく。あっという間になくなってしまう。やれやれ。

 飲むと眠たくなる。本を持って蒲団の上に転がったら、あっという間に眠りに落ちて、気がつけば2時間も寝てしまう。うーむ。春の雨の午後のビールはおそろしいぜ。

 起きると持ってきていた本が読みたくなる。図書館で借りてきた沢野ひとし『ジジイの片づけ』(集英社)を読む。1時間15分で読了。面白かったけど、まあ、沢野ひとしの云いたいことは、「朝起きたら10分間掃除と片づけをしなさい。いらないものは捨てなさい。使ってないものは捨てなさい。」ということだな。などと書くと元も子もないが(と、コンピュータが変換してくれたので、もともこもない、ってこんな漢字を書くのか?ほんとかな?と辞書を引いたら【「元」は元金,「子」は利息の意〕利益ばかりか元手まで失う。何もかもすっかりなくす。】と出てきた。ああ、なるほど、そういうことだったのか、と賢くなったのでした(笑))、そこはなんだか沢野ひとしの文体が読ませます(笑)。
 沢野ひとしを知ったのは1980年です。本屋で『本の雑誌』のバックナンバーを何冊か見たときでした。当時の『本の雑誌』は季刊のような体裁で、実質的には不定期刊でした。で、その表紙や挿絵を描いていたのが沢野ひとしで、「なんなんだ、この下手くそな絵は!?」と驚きましたが、でもおもしろかったのです。誰もあんな絵は描いていませんでしたし。椎名誠沢野ひとし目黒考二木村晋介とかが最初期のメンバーだったかな。椎名誠は1979年に『さらば国分寺書店のオババ』を出しているんだけれど、僕が読んだのは1980年になってから。ラジオの朗読で『さらば国分寺書店のオババ』が取り上げられていて、聴いていて笑ったのは覚えているんだけれど。その後も『わしらは怪しい探険隊』『気分はだぼだぼソース』『かつをぶしの時代なのだ』『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』と次々におもしろい本が出てうれしかったなぁ。で、そんな椎名誠のエッセイとか『本の雑誌』のなかで、沢野ひとしは独特なボケの役回りをやっていて、椎名誠はもちろんだが、目黒考二木村晋介からもいろいろツッコまれてました。ですからこの『ジジイの片づけ』をネット検索したときに、誰かが「まさか沢野ひとしに教えられるとは思わなかった。」という感想を書いていて思わず笑ってしまった。
 しかし、考えてみたら、80年代は椎名誠をずいぶん読んだけれど、90年代以降は椎名誠より沢野ひとしの方をたくさん読んでいるかもしれない。沢野は山登りが好きで、ちょうど僕が山登りにはまっていたこともあって、山や旅のエッセイが次々と出たのだが、その度に読んでいたので。
 ああ、でも断捨離というか、身の回りをいつもきれいにしておくことはとても大事なことだとはわかっているので、沢野ひとしに教えられたことをバカにせずに素直に聞いて、きれいに丁寧に暮らしていきたいな。

 東日本大震災から10年ということで中日新聞でもいろいろ特集をやっていた。僕の気になっている原発関連の記事では“「脱原発」8割望む 福島事故10年で増加傾向 全国地方紙協働アンケート」”とか、”原発賠償 時効10年の壁”とか”原発の老朽化”についての記事もよかったのだが、どれもがネットで読めるわけでもないのですな。まあ、いいけど。
 あとニュースということでは、コロナ関連や接待疑惑もあるけど、ミャンマーの市民のデモに対する発砲とか、なにやってんだ?とか思うけれど、よくわからないことも多い。

沢野ひとしの『ジジイの片づけ』読了。どこかで誰かが「まさか沢野ひとしに教えられるとは思わなかった」と感想を書いていて笑ってしまったが、考えてみれば、テントを担いで山登りするなんてことは、よほど整理整頓ができないと難しいということもよくわかる。