現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

畦畔の草刈りと畔塗りとタンポポと大麦の輝き


19日(月)
 朝のうちに事務仕事と精米。
 それから終日、長男は畔塗りに。僕は畦畔の草刈りに。

 今朝の日本農業新聞のコラムに載っていた山口二郎氏の文章。

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 新型コロナウイルス対策を巡る政府の失態を見ていると、日本はもはや科学技術の面でも行政能力の面でも、大国とは言えないということを痛感する。

 まず、ワクチンを自前で作れない国だったとは、ショックだった。国費を投入して開発したはずのCOCOA(感染接触確認アプリ)も不具合が見つかり、役に立たなかった。政治家や官僚の腐敗や自己中心主義は表面的な現象で、深層においては日本の政府が一定の目的のために適切な政策を立案し、責任を持って遂行する能力を失っていると感じざるを得ない。

 20世紀後半の繁栄を知る者にとってはつらいことだが、私たちは大国ではなくなりつつあるという現状認識を基に、日本の将来を構想するしかない。もちろん、科学技術分野で世界の先端を切り開く力を取り戻すことが望ましい。そのためには、目先の金もうけのためにすぐ役立つ技術の開発に資金をつぎ込むのではなく、植物を育てるように根を大事にする政策が必要となる。

 もう一つは、大国でなくても国民が生きていけるように、社会、経済の仕組みを徐々に転換することが必要である。20世紀後半の繁栄の時代には、日本は先進的な工業技術を生かして輸出で利益を上げて、食料と原材料を輸入するというモデルで経済大国にのし上がった。産業の再生を期待しつつも、これからは大国ではない生き方を身に付けることが、国民の安全のために不可欠である。そのためには、食料とエネルギーの自給率を高めることが必要である。

 エネルギーを自給するためには風力、太陽光などの再生可能エネルギーを飛躍的に拡大することがカギとなる。化石燃料の支払いに充てていたお金が手元に残れば、それだけ国民は豊かになれる。

 食料自給率の向上のためには、農業の強化がカギとなる。今の政府は希少な果実や和牛など高価格の食品の輸出を奨励している。そうした収益を追求する農家がいてもよいが、脱大国の農業は国民を養う基礎的な食料を供給することを基本的役割とすべきである。

 料理研究家土井善晴氏は「一汁一菜」をキーワードに、自然の恵みを取り入れた単純でおいしい食事を基にしたライフスタイルを提唱している。脱大国の農業は土井氏の言う日々のシンプルな食事と結び付いてほしいと思う。

 今年は衆院総選挙の年である。日本人の生活のありようを考え直すという構想力が問われる。政党の自由闊達(かったつ)な議論を期待したい。

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 「日本はもはや科学技術の面でも行政能力の面でも、大国とは言えないということを痛感する。」と最初にありますが、痛感はしていませんでしたが、大国とはいえない、ということはここ数年ずっと感じてました。別に大国でなくてもかまわないし、国土の面積は小国なんですから、小国でかまわないけれども、食料は自給を旨として、教育と福祉・医療に力を入れて(税金を使って)落ち着いて暮らしていけるようにしてもらいたいな。力を入れるべきは教育ですよ。って、当たり前のことですが。

 一年之計莫如樹穀、十年之計莫如樹木、終身之計莫如樹人。
 一年の計は穀を樹うるに如くはなく、十年の計は木を樹うるに如くはなく、終身の計は人を樹うるに如くはなし。と、古来、人を育て教育することが大事です、と『管子』にあるのですが、古典に親しむなんてことは教育制度の充実なしにはできませんね。ま、教育が百年の計であることは、ちょっと考えればわかることですが・・・。私などはあれほど「勉強したんか?」「宿題したんか?」「予習したんか?」と親や先生方から言っていただいたのに、ふがいないことで、反省しきりの人生です。

20日(火) 穀雨
 朝のうちに事務仕事と精米。それからビビ号と散歩。
 それから終日、長男は畔塗りに。僕は畦畔の草刈りに。
 夕方、浸種しておいた「コシヒカリ」を催芽機に入れて、水温を28℃に上げる。明日は播種する予定。このところずっと「播種」と書いてきているが、このあたりの百姓はみんな「種落し」と言う。昔は苗代に直接、催芽した種籾をパラパラと落としていましたからね。今は苗箱にパラパラと落として、出芽機に三日ほど入れて芽が土の上に出てきてから苗代に並べます。うちは露地のプール苗代なので、並べるとすぐに苗箱の肩まで水を張ります。

 快晴で冷え込んだ今朝、ビビ号と散歩に出たら、大麦の朝露に朝日が輝いていました。