現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

溝切りとトンボの羽化と『いのちを産む』

溝切り

朝方、ざーっという音で目が覚めたけど、まだ暗い感じがしたので、起きずにそのまままた寝る。朝起きた時には雨は止んでいた。
午前中は五月の中旬に植えた田んぼの溝切りをする。
茎数がそこそこ増えてきたので、もうそろそろ中干しかなと思っている。それに備えて溝を切ったのだ。


ところがある田んぼで、トンボの乱舞!なんだこのトンボは!?よくわからないのでありました。田んぼの稲に止まっていて、溝切り機を押しながら歩いていくと、ぱぁーっとあたり一斉に飛び立つのでした。ところがパッと見てもあまりなじみのあるトンボのように見えないんですね、羽はほとんど透明。黄色ッぽい胴体とそこにところどころ黒い模様。種類がわからない。うーむ。
よくよく見ると稲の葉のところにヤゴの抜け殻がいくつもいくつも見える。しかもこの抜け殻、抜け殻なのにまた葉にしっかりと捉まっているんだなぁ。どうやら今日、今、羽化したばかりという状態ですね。そうかヤゴも一斉にトンボに羽化するんだな。相談しているわけではないのに、遺伝子のどこかにそういう命令が記されているんでしょうね。不思議なものです。
さっきから図鑑をあちこち見てるんですが、どうもよくわからない。シオカラトンボところを読んでいたら「メスと未成熟のオスはくすんだ黄色をしているのでムギワラトンボと呼ばれることもある」という記述を見つけて、たぶんこれだろう、と納得することにした。今浮かしたばかりなんだから、オスもメスも未熟なやつらばかりだからね。
そういえば、日高敏隆先生の選集を読んでいたら、モンシロチョウなんかもサナギが一斉に羽化するのはオスとメスが出会いやすいため、交尾がしやすいためとどこかに書いてあったような気もするんだけど、トンボも同じだろうな。今日のうちの田んぼは童貞のトンボと処女のトンボが乱舞していたということになるんですな。でもオスがまだあのいかにも塩辛いような青くて白いようなあの色になっていない未成熟だとすると、まだ交尾は出来ないのかな?


夕方、午前中に溝切りをした田んぼの水を落として中干しに入る。ホリで。尻水戸までさらに溝を切り落水。農協から貰った米作りのマニュアルには肥料分を逃がすから落水させずに自然乾燥で中干しするとあるが、雨でたっぷり水が溜まっているし、晴天が続く予報も出ていないので、落水する。


大野明子・宮崎雅子『いのちを産む』(学研)読了。これはものすごくよかったです。産科医と助産師の不足、大野病院事件とか内診問題とか、ちょっと盛り込み過ぎの一冊だと思いましたが、いのちとはなにかを考えさせられるし、自分の四人の子供の出産の時のこと、流産のこと、あれやこれや自然と思い出されることがたくさん。自分の子供の成長の様子を振り返りつつ、親になったことの幸せというようなものが、湧き上がってきました。
「いのちの理を知り、生かされていることに謙虚になることは、与えられたいのちをみずからの意志で力強く生きることと同義であろう。」うちの奥さんにも子供たちにもいつか読んでほしいな。この感覚は「日高敏隆選集」の底辺にも流れているような気がします。大野先生の一言半句に震えるような心の高ぶりを感じましたが、宮崎雅子さんの写真も確かに素晴らしいです。うちの奥さんも出産直後の赤ん坊を抱いた時の写真ってあんまり無いんですが(なんでだ?)、でもすごくいいんですよね。

ある意味、自然環境の中では命が命を繋ぐってことは、あらゆる生き物にとってあたりまえの完成されたものだったのですよね、それは植物も昆虫も哺乳類も人間も。
田んぼで生き物を見たり、雑草を刈っていたりする時でもそういうことは感じます。(まあ、生き物を個ではなく種として見ているわけですけど)「いのちの理を知り、生かされていることに謙虚になること」どこか仏教のお坊さんの言葉のような。