現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

雨降りやら曇り空で思った通りには稲刈りが進まない

Nina Vidalの視線

3日(水)
今日もなんだか曇り空。朝少し雨も降ったようで、稲が乾かないと稲刈りが出来ないので、しばらく待機。
すると風も出てきたので、10時半頃田んぼを見にいく。まだ少し水滴が葉っぱについている。でもこのまま雨が降らなければなんとかなりそう、と稲刈りすることにする。
最初のうちは稲穂も湿っているし、葉も濡れているし、とにかくゆっくり運転。そうしないと籾や藁がコンバインの中でがつまってしまうのです。そうなるとゴタゴタやっていると時間はあっという間に過ぎていくので、葉が乾いてくるまではゆっくり運転。
午後は少し速度を速める。でもゆっくり運転だと燃費が悪くなるんだよなぁ。燃料費が高騰している時に。いやはや。でもその後は雨も降らず無事に一枚刈ることが出来ました。

4日(木)
朝、天気はいいのだが、昨日刈った分の乾燥に時間がかかって、稲刈りにはいけない。仕方がないので父と母は小豆の消毒にいってくれて、僕は稲刈り予定の田んぼの四隅を鎌で借りに行く。
昼前に乾燥が上がって、少しだけ籾擦り。
昼から稲刈りに。調子よく稲刈りしてたのだけど、16時頃から急に雲がかかって暗くなり、激しい雨!こうなるともう稲刈りは出来ないので、テントをかぶせて退散。刈ってきた籾は乾燥機に入れ、最初は送風だけで乾燥して、その後温度を下げ加減でゆっくり乾燥。その間に朝乾燥し終わった籾の籾擦り。ふー。一日よく働きました。
しかし激しい雨は5分ほど。あっという間にまた雨は上がったんだけど・・・それでも塗れた稲は刈れませんから。ほんと、意地悪な雨ですな。

5日(金)
朝起きてすぐに昨日の籾擦りのヌカを捨てにいく。途中で、またもや雨!あらら、これでまた今日も稲刈りは出来ないか?うーん、陽は射さないし風もないので稲刈りは無理と判断して、今日は休養日へ。
米の乾燥の温度も乾燥中の胴割れ米をなくすために温度を下げたので、昼まで時間がかかった。燃料効率は悪くなったのか?

アップルから今週の無料ダウンロードのお知らせがきたのだが、うーむ、Nina Vidalの『No Umbrella』だそうで、さっそくダウンロード。でも歌の方はも一つか。でもジャケットがすごく良くて、唸ってしまいました。これって、本人なのかな?でもって、例のBeFunkyでイラスト化。うーむ。

iTunesのつながりだけど、『茄子 アンダルシアの風』の中に登場するアンダルシア民謡風の挿入歌『Campo』(作詞前田たかひろ 作曲本多俊之)がいいんだなぁ。なんとかiTunesに入れたいと思って久しぶりにa52decX 0.25でDVDから音を抽出。QuickTimeで『Campo』の部分だけ切り取って.mp4に変換。うーん、こんな作業何年ぶりだろう。
エルナンデスが歌う『Campo』は
  ♪灼けた風も夕陽でとまる
   君を待つよ何もない故郷
   アンダルシア
   アンダルシア
   アンダルシア
   痩せた土地を緑が芽吹く
   君を待つよ祭は近い
と聞えるんだけど?

  どこか遠くへいきたい
  ここではないどこかへ。

って、セリフもあったような気がしたんだけど、昔、若かった頃、っていうか、夢みる年ごろの頃、僕もそんなこと思っていました。誰でもそう思ったよね。ここはアンダルシアのように雨の降らない痩せた土地ではないけど、そんなに肥沃な土地でもない。当たり前に田んぼの広がる土地だったけど、「ここではないどこかへ」と思った。それは街へ、という思いだったのかもしれないし、刺激を与えつづけてくれるところ、ということだったのかもしれない。土地云々ではなくて、現状から変化したい、変わりたい、という気持ちもそれ以上にあったし、ナニモノかになりたい、という思いも漠然と、でも強く思っていた。
あれこれ回り道をして地元の田舎で農業をすることにしたのだが、しかし、街で生活すること以外のことはみんなあることに気がついた。毎年同じことの繰り返しが百姓仕事のように思われるかもしれないが、自然相手の仕事というのは同じことの繰り返しを許してはくれないし、新しい技術の導入とあれこれ工夫することはは収入面でも体力面でもものすごく大事だし、そうやって変わっていくことの自負やら喜びは、どこかに最終的な責任者がいるわけでもない農家の場合は格別です。
諸行無常というと、最初から諦めムードで好きな言葉でないという人も多いと思いますけど、いかんともしがたい強い言葉ですよね。日常生活では口にすることのほとんどない諸行無常ということを、胸に秘めて(という割に今日はずいぶんと変換しましたが)日々、農業と家族(というか子供たち、いやもちろん奥さんも両親もですけど)との生活に精いっぱい頑張るというのが、田んぼがあるここ以外、どこへもいけない百姓の「どこか遠くへいきたい。ここではないどこかへ。」というセリフへの思いかな。うーむ。(急に思いついたような諸行無常なんて書くから、話が中途半端な言葉足らずなことになってしまった。)