現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

雪掘りの大根


昨夜の雨も止んで朝は冷え込んでいた。今朝も犬の散歩に次女といっしょに行って、田んぼの雪の上を歩くことができた。たのしい。雪の上は風紋がそのまま固く凍りついていた。
それから犬の首輪がだいぶよわってきて切れかかってきたので新しいのに付け替えてやる。


午前中はお米の精米と選別。それから畑にでて雪を掘って大根を何本か抜いてくる。雪掘りの大根です。雪の下になった野菜は甘く美味しくなるのです。白菜と蕪と大根とキャベツなんかがまだ雪の下に。何で美味しくなるのか、科学的な根拠はわかりませんが、雪の中、畑に出かけて雪を掘って収穫という一手間かかる分だけおいしく感じるのかもしれませんね。うーむ。作業の写真を撮れなかったのが残念。
大根。すぐにできるのは大根おろしとか大根サラダなんですけどね。雪の降る地方は不便なことが多いですが、雪掘りの野菜をおいしくいただけるとうのも値打ちの一つに上げておきたいです。


1月22日(金)付けの日本農業新聞の特集記事に国立西洋美術館館長の青柳正規氏「歴史に学ぶ 小規模農業こそ主軸」という文章が載っていた。以下その要約。

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古代文明や歴史を研究すると、食料と農業の大切さを痛感する。古代の地中海世界でも食料確保が重要で、農産物をめぐって争いが絶えなかった。ナイル川下流のデルタ地帯は余剰農産物を出せるが、ギリシャイタリア半島は恒常的に食料不足だった。地中海地域でうまく食料を再分配するためシーザーらは「全体を一つの国にすればいい」とローマ帝国を樹立した。そういう大きな構想をしたからこそ、シーザーは天才と言われた。
日本は戦後60年が過ぎ、今では食料が不足するなど誰の頭にもない。命の原点である農業に対しても、社会的な関心とか尊敬の念が、缶詰めやファーストフードに押されて薄くなってしまった。
だが飽食の時代とそうでない時代が波のようにあり、これからも食料不足が起こる可能性はある。食料と農業の大切さを、歴史に即してみんなが認識することが大切だ。


今日本では農業に企業が進出し始めている。世界全体が市場原理を優先する社会構造に突き進む中、日本でも古来の小規模多品目の家族農業は非効率的だと、企業がずずっと手を突っ込んでくる。目先の効率性だけをみれば成功を収めるかもしれない。だが、50年、100年という長いスパンで考えると、将来に大きな禍根を残すのではないか。
例えば、企業が数百ヘクタールの農地を経営したとする。しかし収益が上がらないことが判明し、経営を放棄するとそこは荒れ地になるおそれもある。食糧安全保障の観点から見ると、大規模農業は非常にリスクが大きい。農業が長年かけて築いた日本独特の農村経過や文化を損なうことにもなりかねない。


日本古来の小規模多品目農業であれば、ある部分では失敗するかもしれないが、ある部分では成功もある。リスク分散が図られている。
しかも小規模多品目農業だからこそ、生命の多様性が守られている。農業者は世界で最初の環境技術者。弥生時代から続く日本農業の歴史の中で、自分たちが住む自然環境を十二分に理解し、それに合う作物と作り方をしている。
古代ローマ帝国でも、今の大規模農業に相当するような奴隷を使った大土地所有制が北アフリカ辺りで行われていた。だが、だんだん社会が不安定になると奴隷が自立したがり、300年を過ぎた頃、政府も奴隷制廃止令を出さざるを得なくなった。大土地所有制の形態がなくなり、がたっと生産力が落ちた。
そういう歴史を考えても、目先の効率を追い求める大規模農業より、長期的に穏やかな小規模多品目農業を軸に据えることが必要ではないか。
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青柳正規氏は考古学の先生ですけれど、糸井重里と「ポンペイに学べ」という対談をしておられます。昔、ほぼ日で読んだかすかな記憶があります。