現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

部屋の掃除をしながら

トラクタ

先日、日本農業新聞に、ああ、その通りだなぁ、と思う記事があったので、残しておこうと思いつつメモを取ったのですが、父がまだ読んでいなかったので、破って残すことをしなかったら、その日の新聞が見つからず、どうやら捨てられてしまったようで、手元に残らなかった。まさかどこかにいってしまうとも思っていなかったので、記事(コラム)の作家の名前を書き留め忘れてあちゃーと思っているところなのですが、とりあえず、メモしかないのですが、メモを頼りに自分なりに書いてみることにしました。


政権が変わり農政も戸別所得補償のモデル制度が来年度から実施されることになった。しかし他のたくさんの事業がカットされて、農家の所得が安定するのかよくわかりません。この制度は基本的に赤字分を補うという仕組みです。生産調整とのからみもあって、米のつくり過ぎで米が余ってきたり、日本人の米の消費がさらに減ってくれば、米価はまだまだ下がることでしょう。農家の赤字は膨らみますが、それをほんとにどんなに下がっても補償し続けることができるのかどうか。
戸別所得補償のモデル制度の政府予算が決まったときに農林水産大臣は「これなら子どもや孫に(農業を)つがせよう、となる」と胸を張ったという報道でした。政府予算に満額で組み入れられたので、うれしかったのでしょう。大臣として頑張っても下さったのでしょうけれど、でも本当にそう思っていらっしゃるのなら、ずいぶんお気楽だと思わざるを得ません。
なぜ後継者が育たないかというと、それは現状では米を作る標準的な農業では世間並みの生活ができないからです。農水省の米生産費調査によれば、2007年の稲作農家が手にした労働賃金は時給に換算して179円だったということです。世間の労働者の最低賃金が687円の世の中にあって、やれやれ、とも、いやはや、とも言う気力もなくなる数字です。もちろん、零細農家も含めての数字でしょうから大規模農家は効率良くもう少し賃金アップしているでしょうけれど。
今、百姓をしている人間は、まあ、自分で選んだ道ですからひとまずは置くとして、誰がこんな低賃金の米作りに子どもや孫にあとを継げと言えるのか。日本という国では労働基準法違反ともいえる労働を百姓に強いながら安全安心の米、そして一膳あたり20円そこそこという安い米を要求しているわがまま身勝手ともいえる国民がたくさんいる国でもある、とも言えなくもない。我が身の命と生存に欠かせない食料という最大の社会資本を支えている農家の再生産可能な労働環境を保証せずに、どんな食と農の未来があるのか、子どもや孫にあとを継いではどうか、と言えるのか。
日本の農業者は300万人を割り、その半分は70歳以上の年寄りです。49歳以下の農業者はこの九年間で80万人から41万人と激減しました。あ、僕はこの中にまあぎりぎりですが入っています。49歳以下というくくりでいうと、0.5%になるそうです。農業は近い将来日本人の0.5%の人間のする仕事となるわけです。一人の百姓が200人分の食をまかなうことになります。まかなえるのだろうか。
食料は、田んぼや畑や山や川や海で汗する人間がいなくなれば、当然なくなるものです。これは万国共通。百姓の高齢化は目に見える現実。食料を支える人々を応援し励ます政策が、10年後、20年後を見据えた食の政策・戦略が、日本にはすぐに必要だと思います。
と、まあ、メモを見ながらですが、そんなような話だったと思います。


農業を自分でしようとする若者はいない。年寄りもいつまでも農業はできない。さて、どうなる、というとき、必ず企業が参入してくるでしょうね。この夏に農地法が変わって企業の参入ができるようになりました。政府も百姓の言うことは聞きませんが、大きな企業の言うことなら、聞く耳を持っているのです。日本の農業はこれまで家族経営の農業でやってきたのですが、それが壊れていくような気がします。そうすると地方の若者は大きな企業に雇われたサラリーマンの百姓になります。給料は抑えられるでしょうけれど、現状よりはいいかもしれません。いくら月給取りでも農業は嫌だという日本人もいるかもしれないし、企業も安い労働力を求めてアジア諸国から若者を労働者として連れてくることになることもありえるでしょう。ちいさな家族経営の農家は潰されていき、効率と販路をもった企業だけが生き残っていく。というような。どこかで見たり聞いたりしたような事態になっていくのではないかと思わずにはいられません。食料というようなものが、一握りの企業に握られていいのだろうか。まあ現状でも食料の6割は外国に握られているのですけれど。それでも田んぼや畑のある百姓はいいですよ、自分の家族の分の米と野菜なら自前で何とかするでしょう。などと。考えてみれば日本のエネルギー。たとえば電力とか。すでに一握りの企業に握られていますなぁ。
ああ、もう僕には荷が重いことになってきました。


今のところほとんど積もってはいないが、昼前から雪。もちろん風もとても冷たい。午後四時を回って、気温も下がってきたか、雪も小さくなって、屋根が白くなってきた。


アコースティックギターは「カバティーナ」に感動して以来、村治佳織をずっと聴いてきているのですが、今日、お正月用のふな鮨を買いに行く車の中でラジオを聴いていましたら、押尾コータローが自分の青春の音楽ベスト10を紹介しながらあれこれギターの話をしていました。買い物の途中ですから全部まるまる聴けたわけではないのですが、たいへんおもしろかったです。「カバティーナ」もベスト10に入っていましたね。あとゴンチチとか、チャーとか。



今朝の中日新聞に2009年の墓碑銘と題して、今年亡くなられた有名人が紹介されていました。若いときには名前は知っているけど、よく知らないという人がほとんどだったけど、だんだんよく知っている人も名前があがるようになってきて、今年では忌野清志郎とか。キヨシロー!叫んでみても、どうにもならないのだが。


短髪の小栗旬の顔がアップになってCMに出ているので、一緒に見ていた長女に「お父さんな、昔、若いときな、小栗旬に似ていた気がするんやけど」と言ってみる。長女はふふん、とせせら笑ったあと、「気がするだけやろ。」と愛想もない。小栗旬は180センチ以上の長身で股下も90センチくらいあるらしい。もちろん気がするだけなんだが。


ああ、次女が一昨日ついた鏡餅の上にミカンをのせて僕の部屋にも持ってきてくれました。
みなさん、よいお年を。