現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

排塵ダクトのの設置と夏の基礎講座と花火とコオロギ

花火をする

午前中は排塵ダクトをあれこれ試しながら取り付ける。
昨日も書いたが、ファンの排気口は正方形なのだが、ダクトは円なので、このつなぎをどうするか、というあたりが大きな問題なのだが、肥料袋でつなぐことにする。要するに正方形の口を肥料袋を巻き付け紐で縛る。その肥料袋を今度は円形のダクトに紐とガムテープでぐるぐる巻いてつなぐ、という方法です。
最初、うまくいったかのように見えたのですが、排塵のファンを回してみると・・・、ダクトの重みもあって、あっという間にダクトがはずれてしまいました。これはいかん、とダクトを屋根の軒から吊るすようにして、さらにガムテープをぐるぐる巻いてみました。うーむ。これが今のところ、うまくいっているようで、ファンを回してみても外れていません。しかし、これから一ヵ月あまり、風雨にさらされて、大丈夫かという心配はつきません。


午後は田回り。などあれこれ。


そういえば、昨夜、15日の夜は次男次女にせがまれて家の庭で花火をした。帰省していた姪たちを奥さんがボーリングに連れていってくれたのだが、ボーリング場のサービスで花火セットをもらってきたので、それをするというのだ。もうそろそろ自分たちだけでできる年齢だと思うのだが、チャッカマンと水を張ったバケツを用意して、次々と火をつけてやる。サービスの花火なので派手なものはなく、みんな手持ちのバチバチ花火である。父も縁側に座ってみてくれている。久しぶりに嗅ぐ花火の火薬の匂いというか煙の匂いというか、悪くない。月齢5.0の月が出ている。それに庭にコオロギが鳴いていた。ああ、もうコオロギが鳴く季節になったか。稲刈りの準備も始めなくては、とぼんやり思った次第。


8月11日付けの朝日新聞に「夏の基礎講座 一時間目 生命」という特集があって、大衆文化担当記者が分子生物学福岡伸一先生に聞くという記事です。以下その要約。

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記者 ある映画俳優が理想の生き方を問われ「ゆっくりゴロ寝が最高」と答えました。こう暑さがつづくと怠けたくなりますが、自然の原理といっていいですか。
福岡 もともと生物はレイジー(怠惰)な存在です。水族館に行くとわかりますが、魚は波の揺れに身をまかせ、できるだけ泳がないようにしている。アリも二割ぐらいは働いているフリをしている。その二割を排除しても残りの二割は働かなくなります。「自由であれ」と遺伝子が命じているのです。
十七年ゼミというセミがいましてね。地中に17年間生活して、最後のわずかな期間だけ地上に出て交尾して一生を終える。効率の悪い生物に見えますが、このセミの一生の本質は地中の17年にあるのです。誰からも干渉されずぬくぬくと生活し、ああでもないこうでもないと夢想しながら木の根っこから樹液を吸っている。
記者 うらやましい。「勝ち組」「負け組」なんて区別は生物の世界に存在しないんだ。
福岡 弱肉強食の「食う」「食われる」の関係はありますが、ある生物が仮にもう一方の生物を食い尽くしてしまったら、それは自らも死ぬことを意味します。そうならないように生物の世界ではある種のバランスが成り立っていて、ある程度、自分を守るために禁欲的に生きているんです。人間は無益な競争ばかりしていると思います。
記者 競争からの逃走ですか。ついついフーテンの寅さんを思い浮かべてしまいました。
福岡 寅さんは生物学者から見ても魅力的な人間です。あまり効率なんて考えず、ゆったりとした時間の中でトントンで暮らし、何が自分の身に応じた「分際」なのかわきまえている。マドンナに恋心を寄せながらも、最後は黙って背中を見せて去っていく。
でもこの「分際」というのが、生物学の世界では重要なキーワードになるのです。英語でニッチ。人間以外のすべての生物は自分のニッチを守っていて、限られた資源や環境の中で他の種と戦いを起さないように棲み分けているのです。交信する周波数も、活動する時間帯も限定している。自分が食べる食性も厳密に守っています。アゲハチョウの幼虫だったらミカンやサンショウの葉っぱを食べ、キアゲハの幼虫だったら、パセリやニンジンの葉っぱを食べる。人間は自然を分断し、あるいは見下ろすことで分際を忘れている。
記者 20世紀は分子生物学の時代といわれたそうですね。そもそも生命ってなんですか?教科書を読んでもよくわからない。
福岡 1953年、遺伝子の正体であるDNAが二重らせん構造をしていることが発表され「生命とは自分で自分を作りだすメカニズム」と定義されました。フィルムでいうとネガとポジのような形になっています。片方が失われても、つまりポジからネガを、ネガからポジをつくれるようになっているのです。私達が遺伝子を組み換えたり、臓器を入れ替えて延命措置をできるようになったのも、この機械論的な考えに基づきます。
記者 プラモデルを作るようですね。ではたんぱく質などを混ぜれば生命は誕生するのですか?
福岡 たとえ二万数千種類の遺伝子からできたたんぱく質をコップの中にとろとろと入れても生命は誕生しません。ミックスジュースのままです。だから自己複製の定義だけでは生命現象を解明することはできない。そこで「動的平衡」という考え方が出てきたのです。「生命とは分子を入れ替えながらその同一性を保っているものである」と。
記者 まだわからない。
福岡 食べ物で説明しましょう。食べ物は自動車を動かすガソリンのように運動や体温維持のエネルギー源になると思われていますが、それは大きな間違い。食べ物は分子レベルに分解されたあと、脳や臓器、血液など体の隅々にまで行き渡り、細胞成分の一部となってしばらく体内にとどまったあと、再び分解されます。そして新たに体内に取り込まれた分子と交換され、さらには呼吸中の二酸化炭素や尿や便として排出され、ジグソーパズルのように次々と置き換えられていくのです。
60兆の細胞から成り立っている人間の体は、せせらぎによってできたよどみのようなもの。水は絶え間なく流れ込み、いったんよどみを形成してまた流れ出る。私達の生命は受精卵が成立した瞬間から始まり、脳細胞や心臓の細胞は分裂せずずっと存在しているように見えますが、その中身が入れ替わっているのです。他の細胞は細胞ごと入れ替わっています。これが「動的平衡」。つまり今日と明日の自分はまったく違う存在なのです。行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、です。
記者 鴨長明の「方丈記」の冒頭ですね。ところでサッカー日本代表の岡田監督が福岡さんの『動的平衡』の愛読者です。
福岡 岡田監督は組織論の観点から私の本を読んでくれました。個々の細胞が自立して新陳代謝を行い、相互に情報、物質、エネルギーをやりとりするという「動的平衡」の考えに立てば、サッカーで一番不要なのは監督です。そのことがわかった上で岡田監督は攻守の動きなど具体的な戦略を細かく支持することを控え、それぞれの選手が自ら動く意識を持つようなサッカーをめざすようになったそうです。
脳が生命を支配しているという唯脳論的な立場から見ると社長や部長は脳で、社員は末梢器官。上意下達の関係です。でも脳が命令して心臓が動いているわけでもインスリンを出しているわけでもない。体の代謝はそれぞれが自立的にやっているのです。脳が人間の体や心をすべて支配しているというのは生命観の大きな錯誤だと言いたい。
記者 福岡さんは盛り場めぐりもよくされるとか。
福岡 例えば戦後の復興期に生まれた東京・新宿のゴールデン街。250軒ほど集まっているそうですが、店自体はどんどん入れ替わっているのに全体としての街のイメージは変わらない。新しく入って店を始めた人は周りに敬意をはらっており、それまでいた人も新入りを一応受け入れている。ある種の関係性を維持しながら街が成り立っているのです。絶え間なく動き、入れ替わりながらも全体として恒常性が保たれている。まさに「動的平衡」です。
私はそうした場所に歴史的な風土を感じるのです。江戸時代、私達は風土に根ざした暮らしを送ってきた。旬のものを食べ、地産地消だった。薬物や添加物など平衡を乱すものは避けていた。足りているものをそれ以上取らなかった。歴史に学ぶべきです。
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