現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

秋仕事と『主夫と生活』

溝を掘る

秋仕事、という言葉がある。秋の仕事ということだが、百姓には秋の取り入れが終わってからの田んぼ仕事のこと。春から半年間で米作りをしている間に、水路や田んぼ道、それから畔の補修が必要になってくるし、田んぼは均平が基本だが、この均平というやつは広い田んぼのことですから、なかなか難しいことだったりするわけです。いっぺんには直らなくても毎年ちょっとずつ土を動かして均平にしたり。
それから、いくら水田といっても、こんこんと水の湧いているようなところでは田んぼは作りにくいわけです。歩くだけで膝まで沈んでしまうような田んぼでは作業がはかどりませんし、機械はもちろん沈んでしまいますからね。水はけの良さも大切なわけで。で、秋の間に暗渠をつくって水はけを良くしたりするわけですね。
春になってしまうと、苗代やら田植えやらで忙しくなりますし、冬は雪が降ったり、時雨れたり、寒かったりと、これも辛いですから百姓は秋仕事といって、北西の風に吹かれて自然と鼻水が出てしまう、というような季節になる前に来年の準備をするわけです。
私の父は小学校をあがって以来、60年、70年と百姓でありつづけてきて、こういう田んぼの整備ということが、米作りの忙しい期間の手間を少しでも楽にするということをよく知っていますから、まめによく動くわけです。
農園の田んぼで一枚、暗渠排水の工事をしてもらったのに、うまく排水ができてなくて、秋の刈り取りで苦労をした田んぼがあるのです。水の湧いているところの層が高いので、湧いた水が暗渠まで届かなくて田んぼが柔らかくなってしまったのですね。
で、今日は朝からスコップやらツルハシやらで暗渠排水まで田んぼの土を掘って、湧いてきている水が暗渠まで流れ落ちるように暗渠用のパイプをグリ石で埋めるという作業をしました。
たぶんうまくいったと思うのですが、道路脇の法面の下から湧いているみずが、グリ石(大きな砂利)を通って、とりあえず暗渠の中に流れ落ちるようにしました。これで来年は田んぼが乾いてほしいときに乾くかな?
なんだかんだと父と二人、スコップとツルハシと平鍬と、田んぼで力をふるう男でありました。



枕頭本のマイク・マグレディ著/伊丹十三訳『主夫と生活』読了。えーっと英語の原本は1975年に出た『My Life as a Househusband』という本らしいです。それを伊丹十三がおもしろく読んで翻訳して日本では1983年に学陽社から出ました。
帯には「夫婦の役割交換大実験! 各紙誌大絶賛!」とあります。
現在、絶版のようです。僕もアマゾンの古本屋さんから買いました。
奥さんが事業家になって稼いでくるようになったので、新聞社のコラムニストだったマイク・マグレディ(当時40歳)が新聞社を辞めて、専業主夫となるという体験談のリポートです。
男が外で仕事をして稼いで、女は子育てをしながら家を守る、というスタイルの中にいる男にとっては、都合の良くない話のようにも思えますが、それはそこ、子育てをしながら、家事をしつつ、男も大いに(?)成長していくという結婚生活を通してのビルドゥングスロマン風のレポートになっています。
うちでは奥さんが外に働きに出て、僕が農業という自営業をしていますから、共働きですけれど、勤め人で給料とりの奥さんよりは僕の方がいささか自由に仕事はできるわけで、奥さんは専業主婦ではないけれど、主婦でもあって、共働きなのだから、僕も少しは主夫をしなくてはいけないと思いつつも、なかなかできていないという、そういう状況(なんだか複雑そうに書きましたが、複雑でもないですね)の中で『主夫と生活』をおもしろく読みました。1975年当時に夫婦の役割を入れ替えると、ウーマンリブアメリカ社会ですら、さまざまな問題が出てきて、それをコラムニストのマイク・マグレディが面白おかしく、あれこれ体験談を書いています。
一番印象的なエピソードは、マイクの奥さんであるコリーヌの両親が、新聞社の一流コラムニストという職を捨てる自分の娘婿のことを心配するところです。この場面は、自分もそこそこの給料とりから百姓になったときに、うちの奥さんのご両親にずいぶん心配させてしまいましたから、心がはらはらと動きました。うちの奥さんのご両親もさすがにしっかりした大人で、内心はどうあろうと苛立ったような態度は少しもお見せにならず、僕にそれまでの仕事をつづけたほうがいいのではないかと落ち着いて話して下さいました。ありがたいことです。頑張らねばなりません。
さて、次の枕頭本は何にしようか。とりあえず日高敏隆『僕の生物学講義』にするつもり。