現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

次男の卒業式

今朝も冷え込みました。少し雪も積もって、田んぼの畔にでた土筆が雪に埋まりつつ顔を出しておりました。あれこれ思わずにいられません。
今日は次男の小学校の卒業式。立派なよい卒業式で感激しました。とにかく子どもたちがよく大きな声を出していました。子どもたちの大きな声ほど、心をゆるがせられるものはありませんね。ほんとうに。


一昨日だったか、県立高校の合格発表があったのですが、この春の滋賀県の高校入試問題に吉野弘の詩がでていたのを思い出しました。センター試験の国語の問題と県立高校の国語の入試問題は新聞に出るので、まあ、ざっと眺めるようにしています。他の教科だと歯が立ちませんからね。
さて吉野弘の「生命は」。大好きな詩です。



       生命は    吉野 弘


     生命は
     自分自身で完結できないように
     つくられているらしい
     花も
     めしべとおしべが揃っているだけでは
     不充分で
     虫や風が訪れて
     めしべとおしべを仲立ちする


     生命はすべて
     そのなかに欠如を抱き
     それを他者から満たしてもらうのだ


     世界は多分
     他者の総和
     しかし
     互いに
     欠如を満たすなどとは
     知りもせず
     知らされもせず
     ばらまかれている者同士
     無関心でいられる間柄
     ときに
     うとましく思えることさも許されている間柄
     そのように
     世界がゆるやかに構成されているのは
     なぜ?


     花が咲いている
     すぐ近くまで
     虻の姿をした他者が
     光りをまとって飛んできている


     私も あるとき
     誰かのための虻だったろう


     あなたも あるとき
     私のための風だったかもしれない



この欠如を満たすもの同士が「無関心でいられる間柄」というのがいいです。「世界がゆるやかに構成されている」というのもいい。いちいち礼を言ったり言われたり、恩に着せたり着せられたり、というのがないのだけれど、それゆえに強く結びついているお互いの欠如を満たしあう世界。誰かのための虻、誰かのための風。
広く生命の循環というようなことにまで僕の意識は伸びていきます。


散文に近い詩とはいえ、吉野弘の詩を入試問題にとりあげた国語の先生の決断もいいですね。と、書き忘れていた感激を思い出しました。
と、まあ子どもの卒業式でしたので、心が高ぶっているのでしょうか。


午後はトラクタのエンジンオイルを交換しました。去年買ったばかりのトラクタなので初めてのオイル交換。マニュアルを見ながら、丁寧にやりました。
そういえば、もう車のタイヤもスタッドレスからノーマルに交換してもいいかな?


明日は種籾の温湯消毒をする予定。