現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

玉露の思い出

玉露を飲む

午前中は曇ったり、雨が降ったりという妙な天気。午後から晴れてくる。


昨夜、寝る前に玉露を入れてみた。うーむ。期待したほどではなかったが、とろりとして甘味のあるおいしいお茶でありました。
今まで飲んだお茶のなかで、一番おいしくて忘れられないのは、大学二年の時、一般教養課程を終えて、専門課程に移るとき、S先生の研究室へいったときにいただいたお茶でした。友人のTくんが「おいツジイ。わし般教で、中国語とっとらんのやが、それでも中文にいこ思とるがやけど、それで中文のS先生のところへ相談にいかんならんがいぜ。おめー、わるいがやけど、一緒についてきてくれんがけ。」と、言うのである。「なんや、ほんなことぐらい一人でいけんのか」と言うと、「おめー、大学教授とさしで話すて、心細いやろ。ほれにおめーも中文にいこ思てるんなら、顔を売るチャンスやないがけ」などと言うのである。それでまあ、友人のTくんの頼みだし、ご同行申し上げたのであります。
S先生の授業は一年ほど中国文学史を教えていただいていたので、そのお人柄はだいたい拝察申し上げていたのだが、研究室でも実に気さくに話をしてくださって、学ぶ気持ちがあるのなら、般教の中国語の授業も受けながら専門課程の授業をやればいい、心配はいらない、勉強すればいいんだ、とおっしゃってくださって、Tくんも安心したようにニッコリとしていた。「ところで、君も中文に来るのか」とおっしゃるので「はい。よろしくお願いします」と申し上げると、「君、肩幅がっしりしてるけど、スポーツはなにかやるのか」とおっしゃる。「水泳は得意です」と申し上げると「水泳?水泳じゃ、話にならんな。でもなんでもできそうじゃないか、ソフトボールぐらいはできるだろ」とおっしゃる。
もちろん、このとき、ソフトボールの意味はよくわからなかったが、その後、学部長杯での僕の活躍はみなさんご存知の通りである(笑)。
話は長くなりましたが、その時であります。S先生が我々に玉露をふるまってくださったのは。
当時は玉露などというお茶を知りませんから、ポットから急須にお湯を移し、それからまたそのお湯を湯飲みに移し、空になった急須に茶葉を入れ、また湯飲みのお湯をまた急須に戻すという、手順。なんだかなぁ、大学教授は妙なことをしてお茶をいれるものだ、と思っていたのでしたが、ゆるりゆるりときっちり三杯分、最後の一滴まで入れてくださって、お茶をいただいたときの驚き!!ぬるいのだけれど、とろりとした甘味と香り。ムチャクチャうまかったのです。大学教授はこういうお茶を飲んでいたのか、と思ったのを覚えています。
と、まあ、こういう記憶があるものですから、少々のお茶では期待したほどではない、という感想になってしまうのです。うーむ、なんだか敷居が上がってしまったなぁ。


で、その玉露のせいか、朝方早く目を覚ます。といっても、このところぼちぼちと肉体作業が始まったので、夜は9時になる前に眠くなるという、たぶん都会の人からは信じられないような生活なんですが。こういうときのために、ずっと枕元においてある村上春樹『雑文集』を読む。あともうちょっとで読み切るというところまで来ました。でもね、村上春樹はいつ頃からか、上品な笑いを手に入れていますね。安西水丸に関する文章なんか、上品すぎて笑えないくらいです。でもそれがうれしいんだから、いいんですが。


午後はあれこれお土産物産館で販売するお米の袋のラベルのデザインについてFileMakerで試行錯誤しながら考える。