現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

午前中は雨。午後は晴れてくるが風強し。

朝、犬の散歩をしてきた頃から雨が降りだしました。天気予報通り。
今日は雨なので、なんとなく落ち着いて家にいたりしています。といっても午前中に二度、夕暮れに一度、田んぼの田回りをしてきました。
雨が降るのはわかっていたのですが、朝、最初の田回りで、いくつかの田んぼに水を入れてきました。どれぐらいの雨量になるかわからないからです。だいたい3時間ほど入水すればいいぐらいに加減して水口を開けました。
そこそこ強く降った時間もあったりしたので、昼前に早めに田回りして水を止めてきました。田植えしたばかりの、まだまだたくさん水面も見える田んぼに広がる雨の波紋が美しかったりするのですが、ま、いつものことですがカメラを忘れる。


「朝日デジタル」が7月まで無料ということだし、今、朝日の朝刊も購読しているので、月1000円ということのようだし、iPadで見られるといいかもと思って、登録してみました。うーむ。ま、ちょっと見ただけの感想ですが、も一つだなぁ。スクラップできるのが便利といえば便利だけれど、まあ、Evernoteを使えば簡単だし、アサヒオンラインとどう違うのか、も一つよくわからず。これはもうちょっと使ってみて解約かな?


そういえば、つい先日いただいたzuoteng先生のコメントに「粒粒皆辛苦」が出てきたのですが、今朝朝日新聞天声人語に「粒粒皆辛苦」が出てきていてビックリ!斎藤茂吉の歌、いいですね。いいです。さすがです。


5月22日付「天声人語朝日新聞

ひとくちに二十四節気と言っても、知名度にはばらつきがある。立夏夏至という主役級にはさまれて、小満(しょうまん)と芒種(ぼうしゅ)は渋い脇役を思わせる存在だ。きのうはその小満だった。「陽気盛んにして万物長じ、草木が茂り天地に満ち始める頃」と本にある▼今の季節、夏のスピードは速い。初々しかった若葉はたちまち茂りを濃くし、緑となって湧き上がる。田んぼの稲も負けてはいない。立夏のころ、借りている棚田で田植えをした。水面から首を出し、心細げに風に吹かれていた苗が、はや伸び盛りの勢いである▼だが今年、被災地には作付けのできない水田が広がる。辛うじて難を逃れた田で植え付けが始まったと、東京で読んだ紙面が報じていた。周囲には今も無残な瓦礫(がれき)がうずたかい▼「一粒一粒の米を大切に育て、秋には家を流された親戚たちに食べさせたい」。農家の言が胸にしみる。夏の青田は瑞穂(みずほ)の国、日本の原風景だ。青々と育ち、やがて黄金に波打つ稲は、きっと人々を励ますことだろう▼〈粒粒皆辛苦(りゅうりゅうかいしんく)すなはち一つぶの一つぶの米のなかのかなしさ〉。詠んだのは東北出身の斎藤茂吉だった。粒粒皆辛苦とは米作りのきびしさを言う。戦前は小作制度や飢饉(ききん)も農家を苦しめた。いま、空前の災厄に米どころは沈む▼他の例にもれず農地再生でも国は鈍い。希望への処方箋(しょほうせん)はいつ書かれるのか。遅れた正義は無いに等しい、の格言を思い出す。正義を「策」に換えても通じよう。季節に負けぬスピード感が今こそほしい。



それから、先日の日本農業新聞のコラムの記事も載せておきます。内容的にあれこれ思うところあって、書こうか書くまいか、迷ったのですが。


5月16日付「四季」日本農業新聞
いつまで、どれだけ農家をいじめるのか。東京電力原発である。その事故は、300kmも離れたお茶まで放射性物質で汚した。新茶の香りを奪い、茶の間の安らぎ、季節感まで台無しにした▼ホウレンソウに始まった農作物の汚染は、2ヶ月たっても収まらない。つぼみや葉っぱものが汚染されやすいのはわかるが、原発事故の後に生えたタケノコまでも出荷が規制され、シイタケ、コゴミも汚れた。牧草も広範囲で給与できない状態になった▼立ち入り禁止になった警戒区域の農作物は当然、すべて放棄を余儀なくされた。家畜は餓死した。生き残った家畜は、政府の方針で原則殺処分される。もったいなくも捨てられた原乳はどれほどか。土壌汚染で田植えもままならない▼もちろん、すべて限られた地域のことだが、関係農家の損害は計り知れない。農家に非はまったくない。早期の完全補償は当然だ。出荷できなくなった悔しさ、こんな形で家畜が殺処分される悲しさ、切なさも残る。どう償う▼それにしても、恐れられていたことではあるが、原発から300km圏の農作物まで出荷規制に追い込まれたことの衝撃は大きい。あらためて広範囲の農家に不安感を抱かせたろう。原発問題は、全国の農家に「わが身のこと」として現実に降りかかってきた。



本当は、ずっと前から「わが身のこと」だったはずなのだが、忘れていたのか、気付かなかったのか、忘れさせられていたのか、気付かないようにされていたのか。それと原発交付金とはどういうお金だったのか、いまさらながらあれこれ思う。