現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

高校の国語の短歌の暗唱の課題

金原亭馬生YouTubeをいくつか聴いていたら、馬生師匠、朝は酒一合、でもって、昼はウイスキー・ビールその他、夜は酒二合って感じで、ほとんどものを食べないような生活をしておられるようなことをNHKのアナウンサーが話していた。うーむ。
あの、誰だっけ、名前が出てこない、ああ、若山牧水!牧水は晩年はほとんど日本酒だけで生きていたなんて話を聞いたことを思いだした。


   幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく


   けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれてゆく


   白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり


   山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君


   白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ


   かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ


何にも見てへんで(って、誰に言うてるんや)。たちどころに二十首くらいすらすらと暗唱して見せるつもりだったけど、とり合えずこれだけしか出てこんがな。やれやれ。まあ、ええけど。酒を囲炉裏にくすべたり、二階から一階の暗闇を梯子段の上からのぞきみる歌とか、なんか恋の歌もイメージだけは覚えているのだが。あかんもんですな。


若山牧水の歌を覚えたのは、高校の国語の授業で近代の短歌を習った時、教科書には歌人それぞれに三首くらいしか載っていないのだが、とにかく歌人一人を選んでその歌人の歌を十首だったか二十首だったか暗唱せよ。覚えたら職員室まで暗唱しに来なさい。期限はいついつまで。という課題をW坂先生に出されたからです。(同じような課題が近現代の俳句でも詩でもだされましたな)。ま、教科書に載っている歌人の中から一人選ぶのですが、人気はなんといっても覚えやすい啄木でした。与謝野晶子も人気だったなぁ。わが牧水は、もひとつ人気がなかったのも、よかったのですが、たぶん僕のクラスでは二人だけだったと思います。教科書の旅の歌がよくて選んだんですが、図書室であれこれ調べてみると、これが旅の歌以上に酒の歌がよかったんだなぁ。もちろん高校生ですから酒の味など知らないのですが、酒飲みのムードに一発でやられて、暗唱したのでした。牧水の歌集からいいと思うのを次々抜き書きして、さらにそこから暗唱するやつを選ぶんです。それをノートに書いて、職員室のW坂先生に渡すんですな。するとW坂先生はそれを眺めてその中から順不同で上五だけ小さな声でおっしゃる。それをうけてこちらは上五の最初から大きな声で暗唱するわけです。五つくらい暗唱させられただろうか。五つとも全部言えたら合格です。僕はたいていちゃんと覚えていったので一回で合格しましたが、うろ覚えだと失敗してまた次の日に挑戦するわけです。W坂先生は「ツジイ君、合格や。しかし酒の歌が多いやないかいな。」と言われたのを覚えています。


締切の期限間近になるとみんながおしかけてくるわけです。職員室のW坂先生の周りには次々と生徒が暗唱に来るわけですな。職員室中に聞こえるような大きな声で。あるときW坂先生のとなりの席の英語のU原先生が授業の始めに「君たちね、短歌の暗唱ね、挑戦するんならちゃんと覚えてから来てくれませんか。やってきても討ち死にばかりじゃ。あれですよ。辛いですから。もう啄木と晶子なら僕も十首くらいは、いつのまにかすらすら言えるようになりましたよ。でも、まあ、いいんじゃないですか。職員室に啄木や晶子の歌が休み時間ごとに響き渡るなんて。いいじゃないですか。歌や詩を暗唱できることは、欧米では、ちょっとしたステイタスですよ。僕なんか、感激してるんですよ。歌を暗唱するんなら脳が若い今ですよ。でも暗唱に挑戦するんなら、もうちょっと覚えてきてからにしてくださいね。」とおっしゃるんですね。U原先生は滋賀の田舎の高校生に関西弁というか、湖北の方言を使わずに授業をしてくださる唯一の先生でした。僕はその時、W坂先生の隣の席であるU原先生の悲喜をなんとなく感じたのを覚えています。だって、授業を終えて職員室に帰ってくると、休み時間ごとに生徒がわいわいと隣におしかけてきて、啄木と晶子の歌を大声でがなりたてて討ち死にばかりでは休憩にならなかっただろうと。


なんだか、いろいろと思い出した牧水でした。