現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

畦畔の草刈りとときどき雨と「どっち派?」

小川糸『ツバキ文具店』(幻冬舎)


なんだか終日曇り空。ときどき雨。
で、ときどき降る雨をもろともせず畦畔の草刈りに精を出す。涼しくなってきたので、真夏の頃の草刈りより身体が少し楽。
明日は、稲刈りできるかな?


小川糸『ツバキ文具店』(幻冬舎)読了。ああ、やっぱりデビュー作の『食堂かたつむり』より、文章がよくなっている。などと私がいうのもなんですが(笑)。
たのしめましたが、しかしなんですな、この2作しかよんでいないのにあれですけど、小川さんの小説は、事件がおこりませんね(笑)。2作とも坦々とストーリーが進んでいきます。なんにも事件が起こらない。いや細々した出来事の連続なんですが、それがなんにも事件に発展していかない小説ですね。他の作品はそうでものないのかな?
しかし、代書屋というと枝雀さんの落語を思い出してしまうんだけど、個人的な手紙の代筆なんかもするときは、その依頼者の字に似せて書くのかな、どうなんだろう。
あと鎌倉の観光案内的な要素もありますな。鎌倉かぁ。中学の時の修学旅行で鎌倉にも寄ったのだが、大仏様だけ覚えているなぁ。
その鎌倉の大仏を見ているとき、白人の外人さんのグループも何組か観光に来られていたんだが、修学旅行に一緒に付いてきているNスタジオの若いカメラマンのお兄さんが「ほら、やっぱりかわいく見える外人さんって、みんな頭が小さいやろ。八頭身、九頭身ぐらいあるね。」みたいなことを、誰に言うでもなくつぶやいていたのを覚えている。まだなにも美の秘密に触れたことがなかった中学生の私には、ちょっと衝撃的な言葉で、よく覚えています。いや、いまだに美の秘密には触れることは出来ませんが(笑)。


今朝の読売新聞の書評ページにに「どっち派?」という記事が載っていた。石川啄木宮沢賢治。岩手の歌人、詩人、作家ですが、どっち派?と聞かれてもねぇ。ともに高校の教科書に載っていて習いました。一人の歌人を選んで、その歌人の歌を15首(?)覚えて暗唱するテストがあったのです。まあ、みんな国語のW先生のところへ、休み時間や放課後に暗唱しにいくわけですな。僕はまあどういうわけか若山牧水を選んで、酒の歌をいくつも覚えて暗唱しにいきました。ところが級友たちは圧倒的に石川啄木なんです。「なんよ、みんな啄木ばっかりやな、なんでなん?」「おまんかて、牧水ってなんなん?覚えにくそうやん。じっと手を見る、とか、三歩歩まず、とか啄木はわかりやすくて覚えやすい。暗唱にはええやん。」ということでした。なるほどねぇ、と思いましたが、彼らが次々に啄木の歌を暗唱してくれるので、自然に啄木の歌もいくつか覚えてしまいました。
宮沢賢治は「永訣の朝」を習いました。あめゆじゅとてちてけんじゃ、です。(Ora Orade Shitori egumo)です。W先生の授業のお話もよかったのでしょうが、読んでいくと心がなんとも清らかな心持ちになったのを覚えています。教科書に載っているのは「永訣の朝」だけなんだけれど、「無声慟哭」の三部作、「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」の三つを三つとも読めば、すんなりといいんですけどね。
あと、これは社会人になってから思ったことですが、岩手、花巻の言葉がすんなりわかる地元の人が読めば(「永訣の朝」に限らず、宮沢賢治の作品すべてにわたって)、滋賀県に暮らすものにはわからぬ、ニュアンスがまたわかるのだろうな、と思ったりしました。
そんなこんなで、どっち派?といわれれば、百姓の私は宮沢賢治派といきたいところ。あ、でも啄木の青春の甘く切ない歌も好きだけど。ちなみに好きな歌を一つといわれれば、これ。


   友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ


ね、わかりやすく覚えやすい。もちろんそういう日には、酒を飲むばかりで、花を買い来て妻としたしんだことはないのだけれど。