現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

原田マハさんのインタヴュー記事


作業所の掃除と整理。籾摺り機の分解と掃除をする。


先日の日本農業新聞原田マハさんと玉村豊男氏のたぶんインタービュー記事が載っていた。以下、その原田マハさんの分の要約。

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昨年初めて長野県の蓼科で米作りに挑戦した。まず購入した農具は7,500円のくわ。高いか安いか分からないが、最初に使ったのが田んぼの畔塗りで、土をこね、塗っていく作業は左官のようでつらかった。それでもきれいな畔を眺めると達成感があった。農家から教わったのは機械も農薬も使わない自然農という方法で、田植え、草取り、稲刈りは手作業。足踏み脱穀機を使い、 唐箕で選別。ふっくら炊きあがったご飯を口にした時、 10ヶ月の思いが込み上げて泣けるほどおいしかった。
魂に刻み込まれた東日本大震災以降、何が大切なのか、どうやって命をつないだらいいのか悩むことは多かったが、偶然始めた米作りから「生きる」勇気をえた。やればできるんだって。大切なのは水と空気と米。師匠である農家の「一握りの米さえあれば大丈夫」の一言が忘れられない。
米作りは小説『生きるぼくら』を執筆するためだった。引きこもりの青年が米作りを通して再生していく姿を描きたかったから。苗床にまいた籾は素直にまっすぐ育ってゆく。一度伸び始めたら伸び続ける。小さな命が励みになった。子供を育てるような満足感が湧いてきた。小説は米作りで引きこもりの人生が変わったように、東日本大震災の苦難を私たちも乗り越えようと言う強い気持ちをもらった。海外に行っても「田んぼが待っている」ことを忘れなかった。
この9月に新潟県へいき見事なハザ掛けに魅せられた。実りの秋を迎えた棚田、人と自然が作り出した「黄金アート」に勝るものはない。米作りの経験前は気にも留めなかった風景が美しく思えて仕方が無い。地方には何もないって言うけれど、里山など東京にないものがある。それをブランド化し新たな付加価値でアピールできるはずだ。
1粒から1000粒の籾ができるってすごい。大地にぽっと落とすと発芽する。人間もあらゆる可能性を持ってこの世に生まれ落ちる。ダメな人間はいない、必ず何かできるんだと、農業はそんなことを伝える力がある。
農業再生のキーワードは3つ。一つは、原点に戻る。いかに日本人を養ってきたのが米であるか再認識すること。 二つは、農家が誇りを持って仕事に向き合う。「日本人の胃袋は俺たちが満しているんだぞ」と胸を張ってほしい。農家はもっと創造的な仕事ができるはずだ。三つは、地方からの発信。若い人の力と視点を借りて、新しい農業を伝えていく。若い力が農業を変えていくはずだ。役所がやるのではなく自発的に始めなければ大きなうねりにはならない。
米作りから多くを学んだ。私たちのために腰が曲がっても田畑を作っていた祖母、日本の農業を支えてきた人への感謝の気持ちが湧いてきた。共同作業が欠かせず、村人の一致団結がどれだけ大事かも痛感した。
生産者の気持ちも味わった今、日本人は米と絶対切り離せないし、これから米作りがどうなっていくか他人事と思えない。普段目にするコンビニのおにぎりやスーパーの米は誰がどう作ったか、その過程に思いをはせることはない。しかし、知恵と歴史と伝統がかみあって栽培されている事実を知れば、農業への理解は深まる。米で一矢を放つ、この気概を持とう。
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原田マハさんって、前から気になっていたんだけど、まだ読んだことのない作家。(だいたい名前がゴヤの「裸のマハ」を思い出させますからね。だいたいもともと作家であると同時に美術のキュレーターでもあるんですよね。)山本周五郎賞を『楽園のカンヴァス』で受賞している。どういうわけか最近新作が出ていないけど(出ているの?)大好きだった原田宗典氏の妹というのも気になるところ。もちろんこのインタヴューは『生きるぼくら』の宣伝なんだろうけれど、ま、宣伝にのってアマゾンでクリックしてしまいました。米作りの小説となれば、読まずにはいられませんわな。
それにしても、このインタービュー記事も、米作り体験を通して上手な文章になってますね。(山本周五郎賞作家に僕が文章のコメントをいれる必要はありませんが。)農業体験は、必ず、というかなんというか、人の世を見る目を変えさせてくれますね。自分の口にするもの、食料を自分で育てるという体験、そこには命というものを考えるというか、子どもの命、家族の命、人間の命を超えて、命の普遍性に思いをいたす感覚があるんですが、ええっと、難しい言葉になってしまいましたが・・・。動物だけでなく、植物という命も含めて、命を見ることができるからでしょうか。命の価値は地球よりも重い、って、そんなに力まなくてもいいこともわかるし、季節の巡りとか、命の循環とか、時間軸とともに命を見ることができるようになるし、で、だから命が軽くなるんではなくて、他人がどうとか、世の中や世間がどうとか、周りがどうであっても、ま、精一杯、花を咲かせ、実をつけて、また次の世代へ、という感覚が、身体のどこかにひっついてくるような気がしています。(なんて書くと、あんたは仙人か!と突っ込まれそうですが(笑)。でも農業にはそういう力が確実にあると思います。いや、確信しているんです(笑)。)


辻井農園でも、田植え体験の募集をしてみようかなぁ、って、僕自身が手作業で田植えしたのは、子供の時だけで、今では田植え機のお世話になっているからなぁ。鎌で稲を刈るのも子供の時だけだけど(あ、いや、田植え機で植えられないような深い田んぼのときは、手で少し植えました。田んぼの四隅は、わずかでが鎌で刈っています。)、農業体験に来ていただいても、僕も久しぶりの体験になってしまいますね。そうなると父や母の出番になりますなぁ(笑)。