現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

高村薫の『寸草だより』


毎朝、犬の散歩につきあって歩いているのだが、夏は目が覚めるとすでに明るかったのだが、この頃はずいぶん日の出が遅くなってきて、目が覚めても外が暗いし、暗いうちに歩いても、おもしろくないので、明るくなってから、歩き出している。歩いているうちに、太陽が昇ってきたりしているのだが、山の端に沈んでいく太陽は、わりとよく見るのだが、山の端から昇ってくる太陽は、不思議だがあまり見ないんだなぁ。
画像は伊吹山の南側、ちょうど関ヶ原の方角から昇ってきた太陽に照らし出されはじめた散歩道の木。


午前中は、お米の精米など。午後は小麦の播種のときの除草剤の液剤が少し余ったので、背負いの噴霧器に入れて、小麦の圃場の溝の法面に散布する。夕方、家に帰って、機械を水洗いし、自分自身もすぐ手や顔を洗い、シャツもズボンも着替えたのだが、やっぱり除草剤等を使うときはなにかと気を遣わないといけない。


昨日のブログで、結婚生活で、相手を敬うことの大切さをほんの少し書いたのだが、そしたら、今日のほぼ日刊イトイ新聞の今日のダーリンで、「敬意」ということについて書かれていた。あれ?ひょっとして糸井重里は僕のブログを読んでいるの?と一瞬思ったが、そんなはずもなく、たまたまなのでしょうが、「敬意」とか「バカにしちゃダメ」とか、思っている以上に難しいことのような気がしているのです(笑)。


いつだったか、「今日のダーリン」で、料理の話題の中で、「手を抜かず、目を離さず、飽きず‥‥って万能かも。」というような言葉があって、それもよく覚えているのですが、最後の飽きず、っていうのが、難しいところなんでしょうな。そう思います。


先日の読売新聞に載った高村薫の『寸草だより』をふと思い出した。
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この秋、 2020年の東京オリンピック開催決定に日本中が沸いたけれども、考えてみれば頭に「東京」と付いている通り、主催者はあくまで東京都であって、聖火リレーなど1部を除けば基本的に他の自治体の出番は無い。オリンピック関連の様々な再開発に踊るのも、経済効果に沸くのも東京なのであり、地方は何とかしてあやかるのが精一杯となれば、地方に住む者が招致合戦の顛末を鼻白む思いで見ていたのは無理もない話だろう。
そもそも招致をめぐる派手なお祭り騒ぎをテレビや新聞で眺めながら、地方に住む一物書きが考えたのはこうだ。この招致レースなるものは、オリンピック委員会という王子様が、開催地というお姫様を選ぶための舞踏会で、諸国の姫君たちは王子のお眼鏡にかなうよう精一杯のPRを繰り広げ、売れるものは媚びでも何でも得る。
ちなみに日本が売り込んだのは「おもてなし」の心とやらだが、客人への見返りを求めない饗応の心構えとしてのそれは、日本という国に備わった魅力ではなく、あくまで私達個々人の修善奉行(仏教用語で善行のこと)であり、自他の幸福の追求であるにすぎない。そんな個人の心の有り様まで、オリンピック招致のために一自治体が世界へ売り込むのはひどく違和感がある。土台なりふり構わずの招致レースではあるが、どうせならスポーツの祭典らしいPRをもっと見たかったと思う。
もっとも、こうして斜に構えてみても、1964年の東京オリンピックを知っている私の世代は、オリンピックというだけで無性に心が踊る。大人から子供までまさに日本中が沸き返り、五百キロ離れた大阪に住んでいても国立競技場の興奮も十分に分かち合ったのは、言うなれば敗戦から復興を遂げて経済成長へひた走りながら、北から南まで地方という地方が一斉に東京を向いた希有な時代の、希有な記憶ではある。
ひるがえって今日、成長を終えてかつての勢いを失った日本社会は、地方の時代の掛け声もむなしく、東京一極集中と地方の衰退が進む。そんな中で開催決まった東京オリンピックを眺める地方の視線が、かつてと同じであるはずもない。実際、オリンピックが海外で開催されるよりは東京で開催される方が行きやすいという利便性の評価や、海外の立候補都市と競い合った末の勝利というちょっとした満足感、そして久々の景気の良い話題の漠とした期待はあるものの、全国的にも日々の生活レベルでも、それ以上の積極的な関心は見られない。ちなみに先日所用で訪ねた四国一円でも、東京開催決定から1ヶ月を経た今、オリンピックの「オ」も聞かなかった。
これは地方生活者の怨嗟というより、まさに冷静さと言うものだと思う。 64年の東京オリンピック時代に豊かさと繁栄の夢に踊り、企業誘致がだめなら公共事業、それもだめならイベント誘致と必死であれこれ試みてきたものの、どれもが時代に遅れつづけた地方の痛恨を尻目に、 独りオリンピックに沸く東京は、目白押しの公共事業に高揚しつつ自分だけは例外だと思うのだろうか。あたかも東京が日本だと言わんばかりの関係者の浮かれぶりは、ちょっと見るに耐えないものがある。
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もちろんオリンピックが始まれば、日本人選手を応援するのだが、・・・。
高村薫は落ち着いてますなぁ。斜に構えた感じがカッコいい(笑)。
一人勝ちというか、勝ったものの総取りというか、経済的なことはもちろん、いろんなところで格差はますます広がっていく傾向ですね。ますます暮らしにくくなると思います。そういうことでみんな納得しているのかな。
相手に対して敬意を忘れず、バカにせず、手を抜かず、目を離さず、飽きず・・・。