現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

青木美希『地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実」』と『ケルン・コンサート』


 午前中はS商事のSさんと、あれやこれやと田んぼの話、農業談義。もちろんSさんは商売の一環で話に来られているのだが。あれこれ刺激を受けて2時間近くも話してしまう。プール苗代の育苗のやり方を今年は少しバージョンアップする予定(笑)。


 青木美希『地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実」』(講談社現代新書)を読了。2018年の3月に出た新書で、著者は朝日新聞の記者なんですね。なんで朝日新書でなくて、講談社現代新書なんだ?うーむ。しかし、この本を読むとなにか書きたくなってきますね。書きにくいことなんですが。
なんだな、日本人はつくづく何ごとも忘れやすいのかな。あいまいなまま、うだうだと言い逃れていけば、そのうち忘れてしまって、何ごともなかったかのように時間は流れて、でもって選挙でも勝てる、ということになるのかな。
 昔から政治家や官僚のずるさや無責任さ、手前勝手、自己保身、職権乱用などはたぶん、たくさんあって、それが新聞記事やテレビニュースや映画やドラマになってきました。(もちろん誠実な、そして正直で勤勉で優秀な政治家や官僚がたくさんおられるのも知っているつもりですが。)でも科学者は・・・、という思いを持っていたのです。もちろん御用学者という言葉も昔からあって、時の政府や権力者に迎合して,その利益となる説を述べる学者がいることはもちろん知っていたけれども、それは例えば憲法の解釈や経済政策のあたりにおられる学者先生のことか思ってきたのです。それがいつしか日本の高度成長とともに科学技術の分野にもおられることがわかってきて、・・・。なんだかそれもあちこちに増えてるんではないかと、もうなにがなんだかという気持ちにさせられてしまいます。
 この本でも紹介されていましたが、例えば。平常時被曝限度は年1ミリシーベルトだったのですが、2011年の4月19日になって福島県内の小中学校や幼稚園などの暫定的な利用基準が「年20ミリシーベルトまで」になりました。もちろん20倍に引き上げないと学校での活動が何も出来なくなるからでしょうね。「年20ミリシーベルトまでなら子供たちが学校で活動しても大丈夫」とおっしゃっる専門の学者先生が急に出てこられたんですね。同時に内閣官房参与だった放射線安全学が専門の別の学者先生は記者会見を開いて「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に合わせることは絶対に嫌だ。」とおっしゃって、3月16日に時の政権に求められて参与になられたばかりなのに、4月末で辞任されました。もう7年以上前になりますが、その時のニュースは忘れていません。「容認したら私の学者生命は終わり」という強烈な言葉が印象に残りました。低線量被曝のリスクについては、今でもはっきりと見解や表現が定まらず、それが確かにみんなを苦しめていますね。
 学者先生なら自分の研究成果を論文として発表し、そこにはその見解の証拠となる実験結果や調査結果が克明に書いてあるはずなんですが、今でもはっきりと見解や表現が定まらないのは、ことが被曝に関するものなので、データの量が少ないということなんでしょうか。


 今日の新聞では20年の東京オリンピックの誘致に関する贈賄疑惑が報じられてました。まだはっきりとしたことはわからないようですが。昨日だか一昨日は厚生労働省の毎月の勤労統計調査の虚偽?間違い?についての報道もありました。こういうことが次々あるものですから、なんだかひどい世の中になってしまったなぁ、というのが読後の一番の感想になりました。
 そういえば。オリンピック誘致の総理大臣の「アンダーコントロール」のプレゼンのあとに、百姓仲間の懇親会で誰かが「政府はオリンピックまでに原発事故はなかったことにするつもりじゃないの?」と飲みながらしゃべってました。あの時はみんなで「あはははは」と笑ってましたが・・・。いやはや。


 それにつけても福島の原発事故については書きにくい。それはそこで暮らしている人がいるから、そこで頑張って働いている人がいるから。
 などと、一冊新書本を読んだ勢いで、いつものようにブログに書き散らしてみたが、とりあえず僕にできることは安心して食べられるおいしいお米をつくれるように励むことしかないのだし、そのための冬の農閑期の時間ではありますな。



Köln, January 24, 1975, Pt. I (Live)

 しかし、久しぶりにキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴くと・・・。心、ふるえますな(笑)。この26分間はあまりに何度も繰り返し聴いたので、鳴り出すとほとんど全部わかるというか、一緒に歌えるというかハミングできてしまいますがな。ま、正しい音程かどうかはともかく(笑)。


 今日の日本農業新聞の記事。鍬やスコップは、できるだけ丁寧に洗うようにはしているが、まだ座敷の上座の座布団の上に座っていただいて、料理を差し上げたことはない。でもこの記事を読んでいると、自然の恵みに感謝する、とか、仕事の骨折りを互いに労りあう、とか、そういう百姓の心根が感じられますなぁ。
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