現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

小麦の播種をはじめたことと高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』

ぼくらの民主主義なんだぜ


そうか、前回のブログから四日も経ってしまっているのか。


22日(木)
午前中はトラクタに小麦播種のためのシーダーを取り付ける。
午後はコンバインの掃除。概ねきれいになったのだが、足回りの泥がまだ落とせなかった。日没終了である。


23日(金)
今日から小麦の播種をはじめる。ここずーっと雨が降っていないので、土がからからに乾いている。トラクタのPTO(Power take-off)の回転数をあげて、土を細かくするようにして播種してみた。土が乾いているので、なんだか気持ちよくトラクタも動いているような気がする。このまま排水性の高い土のまま、麦が気持ちよく育ってくれるとうれしいのだが・・・。終日、小麦の播種。
それにしても、この麦ダネの美しいこと!夏の間に、父と母が唐箕でゴミを飛ばし、ムシロにひろげて天日干しをしてくれたのだ。


24日(土)
朝のうちに精米など。
午前中は昨日の続きで小麦の播種。
午後は夜の寄り合いの資料作りと準備。
夕方から水路・農道・池の点検に歩く。
夜は寄り合い。


25日(日)
午前中は地域の防災避難訓練。それから人権と防災の講演会。講演の栗木剛先生のお話は、いかに聴衆を飽きさせず、集中力を切らせず、楽しい心持ちで聴かせるか、という配慮満載の、講演で、おもしろかったです。
風がつよい。しかもけっこう冷たくて、寒さを感じる一日。と思ったら木枯らし一号が吹いたのだとか。
午後は精米と発送など。


高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)読了。朝日新聞に月に一度載った「論壇時評」をまとめたもの。しかしなんだな、1982年のうちだったとおもうのだが、ひょっとすると1983年かも。デビュー作『さようなら、ギャングたち』のあの銀色のソフトカバーの小説を、僕は富山駅ビルの中の古い古い商店の集まった小さな書店で買ったのでした。帰省しながら電車の中で読みはじめたら、これがおもしろい、おもしろい。
その後、作品を読んだり読まなかったり、という時代が続くのだが・・・(笑)。あの高橋源一郎が、朝日新聞の論壇でこんな文章を書く作家になるとは、当時はまったく思えませんでした。だいたいこんなに長続きする作家とも思えなかったりしたし・・・。
1980年代の僕なら、新書の一冊、読みはじめておもしろければ1日で、さらに文体が肌に合えば一晩で読み切っていたはずなのだが、おもしろくても、文体が肌に合っても、読み切るのに数日かかってしまう今日この頃であります。今、枕頭本にしていたこの新書をあらためて手に取ってみると、2013/9/26の「甘えているわけじゃない」と2013/10/31「あるひとりの女性のことば」は、ページの隅が折ってあって、なにがしかの印をつけようとしている。
「あるひとりの女性のことば」というのは、たとえば、こんなことば。「読書は、人生のすべてが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。」これは何年も前の国際児童図書の大会の基調講演をされた美智子皇后のことばで、以来、高橋源一郎は皇后のことばを探すようになったのだとか。なるほど。
「読書は、人生のすべてが、決して単純ではないことを教えてくれました。」と、二度、三度と、口の中で繰り返しつぶやいていたら、ぼーっとなって眠ってしまったのでしたが。
それにしても、新書の帯のことばが、よくない。僕はそう思いました。