現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

”言わぬが花”と”知らぬが仏”はペアなのか


5日(月)
雨上がりの朝。そののち晴れてきて暖かくなる。うれしい。
午前中も午後も精米など。
午後は乾燥中の大豆の水分を計ったり、農談会の案内を配ったり。


6日(火)
午前中は雨が降ったり。その後晴れてきたりしたが、風が出てきて寒くなる。クルマの中は風が当たらないので暖かい。って当たり前か。
お米の配達など。


そういえば、思い出したが、昨夜、長女が訊いてきた。
「”言わぬが花”と”知らぬが花”はペアの言葉なん?」
「”知らぬが花”?うん?ひょっとすると、というか、それも言うなら”知らぬが仏”やろ?」
「あ、そうとも言う」
「あーた、普通は”知らぬが仏”です。」
「そうかも。ほんでペアなん?」
「ペアって、ペアとは違うやろ。”知らぬが仏”っちゅのは、知ってしまうと厄介なことも知らないでいると仏さんのように楽な気持ちでいられるっちゅうことやろ。」
「ほんで?」
「”言わぬが花”っちゅうのは、ちょっと難しいけど、まあ簡単に言うとやな、言わん方がええ、聞かん方がええっちゅうことやろ。」
「ほんでペアと違うん?」
「例えばやなぁ。うーん、あのサザエさんの歌があるやろ、サザエさんの歌。♪お魚くわえたどら猫、おおかけってぇ〜、裸足で、かけてく、陽気なサザエさん、ちゅうのがあるがな。」
「あるで。」
「ほらまあ、サザエさんは陽気かもしれんけど、サザエさんは、どら猫を追っかけて、どうなったか、ちゅうことやな。」
「うん。どうなったん?」
「まあ、サザエさんがやな、どら猫を追っかけてお魚を取り返したと。で、その取り返した魚やな、どら猫がくわえたお魚を、焼いて何食わぬ顔でやな、知らんぷりをしてやで、マスオさんに出したら、マスオさんが、うまい、うまいと大変喜んで全部食べた、と。こういうときに”知らぬが仏”ちゅうように言うわけや。マスオさんは、まあ、かわいそうやけど、その魚の事情を知らんから、うまい、うまいちゅうて、食べられたわけやね。これが”知らぬが仏”ちゅうことやろ。」
「うん、ほんで、サザエさんは、ほくそ笑んで、”言わぬが花”、言わんほうがよかった、となるンやろ?」
「なんか、おかしいぞ、ほれ。そういうときには使わんぞ。」
「うん?ちがうん?」
「だいたいやな、”言わぬが花”、ちゅうのは、世阿弥の”秘すれば花”からきてるんやわ。”秘すれば”ちゅうのは、秘密にすれば、ということやな。」
「ゼアミ?なんなん?ゼアミって?」
「あーた、世阿弥を知らんの?高校の古典で習ろたやろ?なんやったっけ、そうそう『花伝書』よ、正式には『風姿花伝』。習ろたやろ?」
「知らんで、ほんなん。・・・古文なん?」
「あーた、ようほれで外国語を勉強したと言えるな。外国語を学ぶっちゅうことは、佐々木小次郎のツバメ返しのようにやな、外国語を学んだその剣の切っ先は、日本語、日本文化に真っ直ぐにすっと向かうンや。あーた、ほういうもんやで、外国語を学ぶちゅうことは。ほれに『風姿花伝』は基本文献やろ?お父さんなんか、学生の時に岩波文庫で原文で読んだで。うすーい星一つの本やったけど。星一つは100円やったかな?50円やったか?」
「なんなん?笑えるわ。ほんで”言わぬが花”は、どうなったん?」
「うん、ほんでやな。あ、わかったけど、”言わぬが花”、”秘すれば花”、ちゅうのは、ええこと、上品なことにしか使わんのよ。ほんなな、誰かをだました時にはつかわんの。上品なこと、おもしろいこと、楽しいこと、そういうときに使うんよ。そんな猫がくわえた魚をマスオさんに食わして、サザエさんがほくそ笑んだ、というような時には使わんの。」
「例えば?」
「ほやな。うーん。まあな。例えばやな、うーん。誰かがやな、お若く見えますね、おいくつなんですか?とたずねやーたとするな、そういうとき、なんかうれしいやろ?そういうときよ、”秘すれば花”ですから、とビシッ!と言うんよ。」
「なにそれ?・・・」
「もひとつ、例えがよくなかったかな。うーん。・・・」
「・・・。例えば、手品のタネあかしをたずねられて、そういうときに”秘すれば花”ですから、とか?」
「ああ、そうそう、まあ、そういうときには使うかもな。むひひひ。」
「私の方が、ようわかってるやん。」


というような会話を風呂上がりに僕はビールを飲みながら長女としたのですが、たしかに”秘すれば花”は難しい日本語ですな。
昔、学生時代、一般教養課程から専門課程にあがったとき、専門課程で歓迎の冊子を「青焼き」で作っていただいて、自己紹介欄があったのですが、ある先生が生年月日の欄に”秘すれば花”と書いておられたのをよく覚えています。
ま、どれだけ長女に伝わったか、あとは長女の教養次第ということでしょう(笑)。えー、そういう長女との会話を次女はゲラゲラ笑いながら聞いていました。さて、三人の中で、誰が一番上品で教養ある人物なんでしょう。
ええ、いや〜、人生って、ほんとにいいもんですね。さよなら、さよなら、さよなら。(水野晴郎氏も淀川長治氏も、人間の本質をつかんでいたなぁ、たぶん。)


で、今、ちらちらと岩波文庫の『花伝書』を眺めておりましたら、「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散るゆえによりて、咲く頃あればめづらしきなり。能も、住する所なきを、まづ花と知るべし。」と出てきました。農ならともかく、能をゆっくり鑑賞したことのない私には難しい言葉のようにも思えますが、ま、なんとなくわからなくもないです。農は能に通ず、です(笑)。