現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「こなし」をはじめたことと村上春樹『騎士団長殺し』の読了



24日(月)
今日もよい天気。ありがたい。
緑肥用にする菜の花のすき込みの二回目。昨秋は雨が多くて芽立ちが悪く茎も細いといっても、なかなか一回トラクタのロータリーをかけたぐらいでは、なかなかきれいにすき込めない。一度、すき込んで、乾かしてからもう一度軽くロータリーをかけると、きれいにすき込める。菜の花も乾かしておけば、土がわいて苗の根が伸びないということも無くなるのだが、雑草も生えやすくなりますわな。


で、ロータリーを動かしていたら、どうも調子がおかしい。ロータリーのリアカバーははセンサーに繋がっていて、リアカバーの動きで耕耘深度を一定に保つのだが、どうもそのセンサーが働いていなくて、一番深く耕耘してしまっている。運転席のパネルにもオート機能が働いているというマークが表示されない。あちこち自分で見てみたけれども、どうも原因がわからないので、農機センターに電話して観てもらうことにする。
驚いたことに、トラクタにはセルフチェック機能がついていて、例えばリアカバーのセンサーの電圧なんかも運転席のパネルに表示させることができるのだ。で、センサーの電圧を表示させてみると0.3Vしかない。メーカーに電話で問い合わせてみると、0.9Vくらいの電圧がかかっていないとオート機能が正常に働かないそうだ。それでリアカバーの角度のセッティングを変えて0.3Vから0.9Vになるようにセッティングし直すと、なるほどオート機能が復活。きちんと耕耘できるようになりました。うーむ。


その後、日没まで荒起し。



25日(火)
今日もいい天気。
5時過ぎからお米の発送準備。最近お気に入りのセーラーの長刀研ぎの万年筆で礼状を書いてみる。もちろんしゅるしゅるぬらぬらと書けて快適。僕はペン先の太さは中字とか比較的太めの線が好きなので、いいのだが、こうやって長刀研ぎで、けっこう太い線で書いていると、細字の繊細そうな線の書ける万年筆も欲しくなるから不思議。


午前中は発送準備と発送。


早めのお昼を食べて、午後は「こなし」に出る。荒起しした田んぼに水を入れて、ロータリーで土を砕き、泥にする作業です。丁寧にやれば田んぼの水持ちもよくなります。それから草も泥の中に埋め込みます。
なんだかんだで、日没まで作業。
荒起しした田んぼに水を入れるのだが、まだ泥になっていないので、田んぼによってはどんどん水がしみ込んでいってしまって、なかなか溜まらない田んぼもあります。「こなし」をすれば、ちゃんと水も溜まります。隙間に細かい泥が入りこむんですね。
これで田植えをするのかというとそうではなくて、もう一度泥をかき回します。それを「尻踏み」と言います。「尻踏み」では田んぼの均平をとるというのが基本作業です。田んぼを真っ平らにするんですね。ま、この田んぼを真っ平らにするというのが、意外に難しくてなかなかできません(笑)。
「尻踏み」は最後の仕上げの代かきになります。「尻踏み」をしてすぐは泥が柔らか過ぎるので、田植えをしても苗が倒れてしまいます。「尻踏み」からあまり時間をおくと雑草が芽を出して生えてきます。ま、「尻踏み」から三日ぐらいで田植えするのがいいのだと思いますが、ま、なかなか思い通りにはいきません(笑)。
でも無農薬の田んぼは二日から三日で田植えします。田んぼによっては「尻踏み」の翌日でも。で、田植え後五日目にチェーン除草に入るようにしています。要するに雑草は発芽直後、大きくなる前に、目に見えるようになる前に対処するのが基本です。ええ、基本ですが、なかなかそうそううまくはいきません(笑)。



村上春樹騎士団長殺し』(新潮社)読了。楽しめました。
このところの田んぼ仕事で、なかなか夜は読書できないので(笑)、早朝読書を敢行。えー、どういうことかと申しますと、夜はとにかくアルコールも入っているし、横になるとあっという間に眠ってしまうのですな。それで朝、5時すぎに目を覚ますとまだ日の出前ですが、すぐに日の出になります、もう充分に明るいので、カーテンをあけ、蒲団の中で老眼鏡をかけて6時過ぎまで一時間ほど読書。十日ほどそんなこんなで楽しみました。
僕は楽しめましたが、確かに新鮮味はあまりないですね。過去に読んだような設定や単語がいくつも出てきました。謎が謎をよぶ展開で、僕は楽しめました。主人公が肖像画が得意な画家というのは新鮮でしたけど。それに登場人物もおもしろかったな。銀色のジャガー、青いプリウス、赤いプジョーとか白いスバルフォレスターとか、クルマもなかなか印象的なのだが、クルマのこと、絵画のこと、そういうことももっと突っ込んで書けたはずなんだけどな。あ、ブルーススプリングスティーンの『リバー』も出てきたな。
でも村上春樹は文体で読ませるんだな。僕はそう思います。
「たとえ凡庸でも代わりはきかない」というフレーズが出てきて、ちょっとドキッとする。これは父と息子の関係の話のなかで登場するフレーズです。
もう20年ほども前、僕の家庭が子育て期のまっさかりの頃だが、職場の先輩がおっしゃった。「ツジイさん、母親の子供にたいする愛情は、もう、それは、無償の愛なんやわ。無償の愛というか、九ヶ月かけて自分のお腹から産んだ子やから自然とすべてを愛せるんやわ。理屈なしに、無条件で。でも父親は、ちょっとちがうんや。なにか愛するのに理屈をつけたがるんやな。まあ、自分の遺伝子をもっているといっても、奥さんが産んだわけで、自分で産んだわけではないからね。カワイイとか、自分に似ているとか、優秀やとか、頭がいいとか、運動神経がいいとか、自分になついているとか、言うことを聞いてくれるとか、なにかと理屈を考えるんやな。そうやって理屈をつけて愛そうとする。母親と父親の違いみたいなことは、ツジイさんも、もう知っているかもしれんけど、・・・。ある意味父親には打算が入るんよね。そこが夫婦喧嘩のもとになったりするし・・・。」という話を聞かしていただいたのをよく覚えている。あれはいつだったんだろう、飲み会の席かなぁ。今なら少し反論もしたいところだろうけれど、当時はなんだかわかったような気になっていたなぁ(笑)。「たとえ凡庸でも代わりはきかない」確かにその通りですな。代わりはきかない。そうして凡庸だろうと凡庸でなかろうと、ま、基本的に真面目に生きていくより仕方がない。そうしてまた子供は父親や母親になっていったりする。



今日の夕方、トラクタに乗りながら、ラジオを聴いていたら、日本国憲法のことが話題になっていた。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重。そして憲法は国民を縛るものではなく、権力を縛るものである、ということなどが話題になっていた。


ブナ科の高木などの花はだいたい高い木だから、花が咲いていても、いつも上を向いて歩いているばかりではないし、花そのものが尾状の花序だから、えー、花序というのは、花の配列状態のことを言います。花の付き方のことですね。ブナ科は、わりとたらりと尾を垂らしたような形状で、彩りある美しい花でもないので、普通は気がつきません。ブナ科って、なんだ?と思われるでしょうが、ブナ、クリ、シイ、コナラ、カシワ、クヌギ、などドングリをつくる木々ですな。実を付けるんですから当然花も咲くんですが、これが目立たない、なんだかたらりとした雄花なんですな。尾状花序と言われます。でもみんな高い木ですから、下から見ていてもあまり気がつかないのですが、朝の散歩道の一部は堤防を歩いています。その堤の高さの分だけ木々に近づけます。すると高木の地味な花に気づきやすいのです。画像はナラガシワの若葉と雄花です。垂れ下がっています。今一つピントははっきりしませんが(笑)。