現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

稲刈りと雨と王維の「送元二使安西」


5日(火)
午前中は籾擦り。午後は稲刈り。夕方ヌカ捨て。ヌカ捨ての頃からポツポツと雨。


6日(水)
午前中は籾擦り。こぬか雨のような雨が降って、稲刈りは無理そうなので、集塵機の掃除をしたり。午後は畦畔の草刈りに出る。畦畔の草刈りとは書いてみたものの、しばらくあれこれ稲刈りしている間に、雑草がどんどんと伸び、田んぼへの進入路から稲の株が見えない状況になっていたりするので、とりあえず進入路近辺の草刈りをする。進入路の草刈りができていないと、コンバインで最初、どこに向かって進んでいけばいいのか、わからなくなります(笑)。
何枚か,進入路を刈っていったら、今度は水路にも雑草が根を伸ばして水が流れにくくなっているところを発見。水路関係は、自分だけでなく、他の農家の田んぼにも迷惑がかかるので、すーっと水が流れるように水路の掃除。概ね終わったところで、また雨が降ってきた。


7日(木)
なんだか雨。降ったりやんだり。
籾擦りする籾もない。
お昼前に農協の広報の方からインタビューを受けたり、事務仕事をしたり。早めにビールをプシュ!としたり。


恩師という言葉があって、僕はわりと気楽に使っているのですが、本当は、ここぞ、という時に使う言葉のような気がしています。じゃ、なんで気楽に使っているのだ、と突っ込まれそうですが、それはテレがあるからです、たぶん。
仰げば尊し我師の恩、昔は卒業式の定番でしたが、卒業生に歌わせるのも今は先生のほうにもテレがありますしね。社会情勢の変化もあって、あまり卒業式に歌わないようです、いや、本当の詳しいことはわからないのですが。
でもまあ、卒業するときには,本当の意味で我が師の恩に感謝する心持ちは少ないのかもしれません。社会に出て、世の中に出て、自分の理想と現実のギャップや、人と人の信頼関係の拠り所を考えたりするときに、ふっとまだ社会にでていないというか、子ども時代や学生時代に聞いた先生の言葉のカケラが、ふっと蘇るというか、思い出したりするのです。
もちろんそれは授業中の教科の内容のこともありますが、なにげない一言や脱線話だったりするわけですね。
濃淡はあるでしょうが、だれでも自分の担任の先生のことは覚えていますよね。よく覚えていると言っても、小さなエピソードがほんのいくつかなんだろうと思いますが。


大学生の時の話です。ひょっとすると一度、このブログで書いたかもしれないのですが。私の学校は前期と後期に分かれていまして、それぞれ最後に試験があります。二年生か三年生の時の試験だったと思うのですが、ある試験の問題用紙の最後に、時間が余ったら答案用紙の裏になんでもいいから書いていいよ、みたいなことが書いてありました。驚きました。小学生の低学年の時に、いつもはわら半紙なのに、ときどき白い紙のテストと答案用紙があって、時間が余ったら、裏に落書きしていいよ、と担任の先生がおっしゃったのでした。当時は漫画みたいな絵をよく描いていました。
しかし、今度は大学生ですから、落書きしなさい、と言われても、何を書いていいのか迷うんですね(笑)。ひょっとすると表の答案の点数があまりにひどいときに、なにか拾い上げるところがないか、ということだったのかもしれません。でもその時、ふっと思って落書きしたのが、中国の唐代の詩人王維の「送元二使安西」という七言絶句でした。白文と書き下し文を書いたと思います。ええ、暗記していたのです(笑)。なんでそんなものを書いたのか、よくわからないのですが、リキんでいたのかなぁ、力がはいっていたのでしょうね(笑)。でもこの詩は高校生の時に習って、覚えていたのです。だいたい今でも友情ものには弱いのですが、同様に教科書に載っていた王翰の「涼州詞」(「葡萄美酒夜光杯」ではじまる詩です。)も高校生の時に暗記していたことを思うと、お酒の詩が好きだったのかもしれません。まあ、そういうことに興味があったんでしょうね。
で。「送元二使安西」を答案用紙の裏に書いても、なにがどうだったのか、答案用紙の裏の落書きが成績にどう関係したのか、はわかりませんが、単位はなんとかとれました。

演習室で出していたガリ版刷りの文集『文工』に、僕が卒業間近のあるとき、先生が答案用紙の裏の落書きについて文章を載せられたのです。その中に一行、「さすがにツジイは王維の「送元二使安西」を書いてきた。」とありました。むふふふ。この「さすがに」という言葉が、うれしかったのをよく覚えています。その時は落書きに漢詩を書いたのは僕だけだったようなので、浮いていたのか、その一行だけでしたが、うれしかったです。
先生はその後も(ええ、卒後間近とおもったのは私の勘違いで、もう一年勉強させてもらいました(笑)。)就職の推薦文を書いていただいたり、百姓をはじめてからは農園の応援・宣伝に努めてくださったり、文字通り恩師なのですが、先日、恩師の授業のレジュメの『名花の漢詩を鑑賞する(春と夏)』をダウンロードして、読ませていただいたら、なんと!王維の「送元二使安西」が出てきてました。「客舎青青柳色新」。花ではないのですが、柳が出てきます。先生の解説の備考に “送別の風習として柳の枝を切り、環(わ)にして手渡した。「環」は「還」に通じ、無事に帰還できるように祈る意である、また「柳(リュウ)」は「留(リュウ)」に通じ、「留客(客を引き留める)」の思いを込めることもあった。”とあり、初めて知り勉強になりました。
中国唐代の漢詩ですから、世界に冠たるものなんですが、若いときに暗記した詩に出会うのはまた新鮮な驚きです。今回の先生のレジュメの訓読、書き下し文と僕の高校時代に習って覚えていた訓読とはほんの少し違っていて、研究の成果なのでしょうけれど、思い出しつつ書いたのは、僕が高校時代に覚えた訓読です。これはこれでどうしようもありませんね。


火曜日の日本農業新聞のコラム記事。