現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

超特急で新潟への旅


8日(水)
突然だが、奥さんと娘と三人の家族旅行で新潟にいくことになった。なぜ新潟なのかは誰にもわからない(笑)。米原から東海道新幹線。東京から上越新幹線と乗り継いで、5時間ほど。三人分となると新幹線の料金はけっこうなお値段なのだが、このスピードと揺れの少ない快適性はさすがだなぁ、と感心する。とは言うものの、僕はほとんど新幹線に乗ったことがないので(笑)、今回の上越新幹線も初めての体験だ。開業して35年ほどになると、新潟駅のポスターで確認したけれど、そうか、そんなになるのか。
お昼に新潟着。ゆっくり昼食を食べて、マリンピア日本海という水族館に避暑に行く。動物園もわるくないが、夏は水族館がいい(笑)。本当は隅のほうのベンチでちょっと横になりながら、でっかい水槽の中をゆっくり泳ぐ大きな魚を眺めながら昼寝でもしたいところだが、そういう公序良俗に反するようなことは、家族も嫌がるので、まあ、ぼんやりした気分で、できるだけゆっくり泳ぐ魚をながめるのでありました。帰りにミュージアムショップで買い物をしたいというのでつきあったが、僕も手ぬぐいを二枚買ってしまった。ラッコとイワシの手ぬぐい。美しく愛らしい。


夕食は、ネットで調べて、お皿が回っていない寿司屋さんにはいる。カウンターの中には染みひとつない真っ白の割烹着じゃないな、作務衣でもないし、あれはなんていうのか、とりあえず白衣だが、白衣の下にはネクタイまで結んでいたりする、若い職人さんが二人。髪は短く、顔をツルリと剃り上げて、爪の先まで清潔な手をして、いらっしゃいませ!と声をそろえて迎えてくれたぜ。カウンターはすでに混んでいたし、一見して家族連れとわかるので、奥の上がりの方へ案内される。新潟の地魚のにぎりセットから注文したのですが、いやー、何を食べてもうまかったです。シャリの量がちょっと少なめなのが(回る寿司との比較です(笑)。)、なんとも絶妙で、ふだんは小食の娘もぱくぱくと食べておりました。最後にいただいた味噌汁までうまかったなぁ。私の場合はビールの他に新潟は米どころ、酒どころでもありますから、地酒も一合づつ、オススメのを二種類、ほんのり冷やした冷酒をいただきましたが、なるほどいい酒でした。舌を洗いながら、次の寿司のうまさを引き立てますなぁ(笑)。
ホテルの部屋にどういうわけか、マッサージチェアがあったので、ずーっといろんなコースを選んで肩から足首までマッサージしてもらいながら眠ってしまう(笑)。
しかしなんだな、昔(考えてみれば20年ほど前か?)、北陸の温泉旅館においてあったパナソニックマッサージチェアに及ぶものは、未だにありませんな。初めて足も含めてマッサージしてくれるタイプを知ったのだが・・・、まあ、初めての体験ということもあるだろうし、実際、大いに疲れていた、ということもあったのですが、もうこのまま死んでもいい、というぐらいの快楽でした。あの記憶はわすれられないなぁ。



9日(木) 長崎原爆の日
ホテルの朝食はバイキング形式なんだが、味噌汁の旨かったこと!出汁は煮干しがはいっていることはわかったのですが、白みそでうまかったです。新潟の味噌はどうなってるんだ?
午前中は新潟市の歴史博物館へ。ええ、楽しくお勉強。高校の時、地理でも少し習ったのだが、信濃川阿賀野川の河口が近いことの、その辺りのいきさつと河口付近の村々の水稲の作業の様子など、おもしろかったです。新潟港の発展の様子も楽しめました。
奥さんはお土産に笹団子を買いたい、といっていたのだが、歴史博物館を出たら、目の前に笹団子の専門店があるのを見つける。「うちは笹団子しか売っていないんですけど。」という声が奥から聞こえてくる。あまりのいい匂いにやられてしまって、出来立てのほかほかの笹団子を購入してしまう。お土産は最後に買う、というのが鉄則だが、そのまま新潟市の観光循環バスに乗ったら、バスの中に出来立ての笹団子のいい匂いが充満して、申し訳ないやら、うれしいやら(笑)。
昼食は新潟大学のそばの有壬記念館のレストランでランチ。最初に出てきたショウガのはいったスープが絶品でした。


午後は奥さんや娘とは別行動となり、僕は坂口安吾の記念館「風の館」へ一人で行く。「風の館」ではちょうど「安吾の新日本地理 仙台の巻」が’取り上げられていて「安吾政宗の城に乗り込む」という文章、ま、ドキュメンタリー記事ですが、に関する自筆メモなど、あれこれ資料が展示してありました。
まあ、それはそれとして、新潟出身の作家、文学者と言えば、だれ?と訊かれたら、一番に出てくるのは僕の場合坂口安吾です。どうかな良寛という答えも多いかもしれませんね。あと会津八一とか。もっとも小学生時代までしか新潟には暮らしていなかったようですが、「風の館」は安吾の生家の西大畑町にあります。旧市長公舎だったところです。
もうブログにも何度か書きましたが、学生時代に安吾にはまって、ぼーっとなっていた時期がありました。とにかくカッコよくて(笑)。小説も良かったけれど、評論とかエッセイの類にやられました。『堕落論』『続堕落論』『日本文化私観』『青春論』どれもこれもカッコよかったなぁ。


「風の館」を出たら、すぐそばに「どっぺり坂」と呼ばれる坂というか急な階段道があります。
観光案内板には「かつてこの坂上には、旧制新潟高等学校(1919年)やその後の新潟大学がありました。”六花寮”という学生寮が正面にあり、大志を抱き、青春を謳歌する弊衣破帽の学生達が、古町などの繁華街に通う近道として、この坂をさかんに利用していました。あまり坂を往来し、遊びの度がすぎると落第するぞという戒めの意からドイツ語のドッペルン(doppeln ; 二重にするという意)と洒落て「どっぺり坂」と名付けられました。ちなみにこの坂の階段は、及第点の60点に一つ足りない59段でつくられています。」と説明がありました。
わたしも、この「どっぺり坂」を下り、古町まで歩いてみました。気分は”大志を抱き、青春を謳歌する弊衣破帽の学生”ですが、暑さと寄る年波にには勝てず、大汗をかいてしまいましたが(笑)。
駅で二人と待ち合わせて、お土産をいくつか買い、また上越新幹線東海道新幹線と乗り継いで帰ってきました。
行きも帰りも、車窓から田んぼが見えると、どの田んぼもとてもよく管理されていて、田んぼの様子を見入ってしまいますな。