現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

湯豆腐と冷や酒と疲労の蓄積と『夜のヒットスタジオ』と若い人こそ宝であること


11日(火)
 私は終日、朝早くから畦畔の草刈り。長男は午後から畔塗りに。
 早朝から夕方まで動いたので、いささか疲れる。

12日(水)
 雨が降りますよ、という予報で、もちろん朝方とお昼前後に雨が降りましたが、雨量は思いのほか少ない感じ。“しとしと”というようりは しょぼしょぼ”  でしょうか。
 まだ春の作業が始ったばかりなのだが、もう、なんだか身体のおちこにち疲労が蓄積(笑)。とくに肩から背中の筋肉の疲労が(笑)。人の筋肉でどこが大きな筋肉なのかということはよくわかりませんが、ふとももとか背中はなんとなく筋肉がたくさん集まって力を出しているという気がしますな。




 ↑『突然ガバチョ!』とか『誰がカバやねんロックンロールショー』のような番組かと思ったけど、そうでもなさそう。
夜のヒットスタジオ』の井上順と芳村真理という感じなのだろうか?(笑)
 英語はよくわからないので、みんなが何で、どう、盛り上がっているのかはわからないけれど、スティービー・ワンダーの人柄のよさはよくわかるつもりです(笑)。あと、僕も本当は目が見えているんじゃないか?と思ったりすることもあるんですが、でも初めてのテレビ番組だと緊張はするでしょうね。この時のスティービーも機嫌がいいのかどうかも、よくわかりません。でもバックのバンドも気を利かせて、いい感じ。
 スティービー・ワンダーの曲を聴いている時に、彼の目が見えないことを意識させられることは皆無ですが、こういうテレビに出てくるとそれを強く意識させられます。当たり前だけど、だからといってバックのバンドや観客や二人の司会者にこだわりやわだかまりが無さそうに見えるのはさすがですね。どうなのかな?英語のわからない僕だからそうなのかな?後半スティービー・ワンダーが歌う曲は反人種差別的な歌詞を含んだ曲でもありますよね。
 話されている英語が一つもわからないまま、あれこれ思いながら、For The Hour!な時間を過ごして、スティービー・ワンダーのスゴサを感じたのでした。アメリカ人の井上順は日本の井上順より歌はうまい気がしたけど、謙虚な感じでよかったです。


↑川上まなみさんは学校の先生とのこと。

 今朝のこの短歌が日本農業新聞のコラムに載っていて知りました。「新年度。職場が本格的に動き始めるころ。作者は教師。新鮮な気持ちで新学年を迎えているのだろう。デスクの上には空き缶を利用したペン立てがある。(ええ!?今どきそんなペン立てを使っている先生がいる?空き缶?空き瓶?すみません、自分が今でも空き瓶のペン立てを40年前から使っているので、おもわずツッコンデしまいました)ボールペン、シャープペン。採点の為の赤いフェルトペン。雑然とするそれらの中で、ひときわそびえ立って見えるものがある。スクラップ用の大きなハサミだ。ハサミの銀色の表面が春の光を涼しく反射して、今日という一日が始る。」という大辻隆弘氏の鑑賞文がついている。

 私の子どもたちも学校を卒業してしまいましたので、今はよくわかりませんが、当時はときどき学級通信というのか、クラス新聞というのか、学級担任の先生が受け持ちの生徒のために文章を書いたり新聞の切り抜きを紹介してくださることがありました。もちろん新聞の切り抜きは授業でも使われていたでしょうね。毎日書いてくださる先生もおられたし、月に二、三度という先生もおられました。四月はたくさん書いてくださったけれど、ゴールデンウィークを過ぎると書かれなくなることもありました。子どもたち用ですから必ずしも親に見せる必要はないのでしょうけれど、「お父さんやお母さんにも読んでもらってね。」とおっしゃった先生もあったようで、うちの子はわりと母親に見せていて、それが私にも回ってきて読みました。こういうのはある意味「心意気」でもありますからね。親としては先生の考えていらっしゃることがわかって、安心もし信頼もできた気がしています。「教え育む」って結局というか学校や家庭の中だけではなくて、世の中の様子やムードもあるし、父親や母親、それから先生、大人が元気におもしろおかしく暮らしているというのが大事な気がします。「教え育む」んですからね、貧富を問わず。学校の先生になりたい若い人が減ってきているような国に未来はないですよね。
 「てやんでぇ!銭もないのにおもしろおかしくやってられるかい!」という思いもめっちゃよくわかります。私も何度もというか毎日のようにそう思わせられていますから。でもだからこそおもしろおかしくやりたいな、とは思います。それしかないので(笑)。
 うまく書けないけど子どもや孫のためならふやけた贅沢はやめて “やせ我慢”  ぐらいしてみせる気概はわたしにあるぜ、ということなんだけど。未来とか、夢とか、この国の宝とか、考えてみれば、結局のところ、それは人だし、若い人や子どもたちのことだとシンプルに思うので。この年になっても働いて税金を納めているあたしなんぞは、正直に言えば孫や子のために税金を納めているんだぜ。つまるところ。集めた税金の使い道を考えている人は、そこんところをよろしく頼むぜ、ほんまに(笑)。