現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

畦畔の草刈りとプラムと『デカダン文学論』と『レンブラントは誰の手に』



8日(土)
 午前中は畦畔の草刈り。お昼前に雨が降り出し、区切りのいいところまで草刈りを続けたので、汗と雨でドボドボになる。でも帰ってきてすぐに濡れた衣服や下着を脱いで洗濯機に入れ、自分は熱いシャワーを浴びる。ありがたい世の中になりました。あれは僕が幼稚園か幼稚園にも行く前かもしれませんが、今ごろの季節だと思います。父親が汗と雨で濡れて帰ってきて、田植え用の長靴を脱ぎ(田植えはすでに終わっていたと思います。草取りかな?)、着ているものはすべて盥の中に入れ、コップに塩をドバッと入れて、水道の水を勢いよく入れて二杯か三杯ゴクゴクと飲み、自分はお風呂場で水道の水で濡らしたタオルで身体をジャブジャブとこすり、洗い、そうしてまたタオルで拭きあげてパンツ一丁で出てきて、扇風機にあたっていたのを覚えています。昭和の40年代前半、日本の高度経済成長の時ですね。

 夜、冷蔵庫でプラムを見つけて食べてみる。唾液がドバッと出てくる、この感じが好き。うまい。もちろん皮まま丸かじりする。

 そういえば、草刈りをしながら、坂口安吾が島崎藤村の『新生』について書いた『デカダン文学論』のことをふと思い出していました。1946(昭和21)年に書かれた文章ですけどね。ええ、草刈りしながら安吾の文章を思い出すなんて、ああ、なんてかっこいい百姓なんだ(笑)。笑える。学生時代にいかに僕が安吾にハマっていたかがわかりますね(笑)。今は安吾の文章もたくさんネットの「青空文庫」で読めます。短い文章ですし、時間のある方はぜひちょっとだけでも読んでみて被下度御願申上候(くだされたくおねがいもうしあげそうろう)。
 あたしゃ、まあ、失敗を繰り返し、失敗を繰り返し生きてきて、いまでもときどき赤面しつつ暮らしていますが、それでもできるだけ誠実に、赤面しつつも世間にも堂々と生きていけるように、という意識がありますが、それは坂口安吾の影響なんじゃないか、と思ったりしています(笑)。ああ、なんて真面目なんだ(笑)。もちろん私など安吾に言わせれば「処世的に如何ほど糞マジメで謹厳誠実であっても、根柢的に魂の不誠実を意味している。」と一刀両断にされそうだけど。ああ、坂口安吾なら一刀両断にされたい!一刀両断にされる快感もありますね(笑)。

 ウケ・ホーヘンダイク監督『レンブラントは誰の手に』(2021)を観る。ドキュメンタリー映画。2018年、レンブラントが描いた肖像画が44年ぶりに発見されたんですね。「光と影の画家」あるいは「光の魔術師」と言われますね。光と影、コントラストが効いていて、私も好きです。17世紀の画家ですから、ゴッホピカソとは違いますね。オランダの画家です。『夜警』とか有名ですけど、やっぱり肖像画というか人物画ですね。暗い部屋にいる人物に左斜め上(?)からの光をあてて浮き上がらせるという。アレですわね。
 映画は、どうなのかな?出てくる人、出てくる人、みなさん、お金持ちですなぁ(笑)。って、どんな感想やねん!まあ、ヨーロッパの絵画の蒐集家とか画廊とか、研究者とか、公爵(?)とか、わからないことが多いです(笑)。

9日(日)
 梅雨前線がちょうど日本海から日本列島に停滞して、あちこちで大雨のところがあるようですね。
 夜中にざーっと音をたてて雨が降っていて目が覚めましたが、私はまたすぐにそのまま眠ってしまったようです。
 さて。大豆関係は無理だし・・・。また畦畔の草刈りか。あ、囲碁対局も観なくては(笑)。


↓これも新聞のコラムで紹介されていた句です。
もちろんこの便りはラブレターということなんでしょうなぁ。
『月と書く』は出たばかりの最新句集ですけれど、この句は作者がいくつの時の作品なんだろう。