現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

ノーベル賞の記事を読んで

JJおじさん

新聞を見たらノーベル賞の記事が。いやー。素晴らしい。あちこち記事を読んでみましたが、まあ、当然ですが、わかったような気がするだけで、さっぱりわかっていないのですが。でもなんだかな、日本人がノーベル賞とかもらうと何となく心弾むものがあるんだけど、なんでだろう。しかも物理学賞とか化学賞とか理系の賞で。
湯川博士が初めてノーベル賞をもらった話は父親から何度もお風呂で聞いた。もちろん中間子の話ではなくて、勉強のよくできた湯川秀樹の少年時代の話だったのですが。コロンブスの卵の話も何度も聞かされたなぁ、お風呂で、1949年の受賞ですから、日本人にとっても、父にとっても大きな意味があったんでしょう。それを子供にお風呂で何度も話して聞かせるというのも、子供への教育というか学習意欲を持たそうとしてたのでしょう。もちろん僕も朝食の時、子供たちと一緒にご飯を食べながら、新聞を見つつ、
「おい、日本人が三人もノーベル賞をもらわーたぞ。」
「なんなん?」と反応してくれたのは中学生の長女。
素粒子理論。」
「なんなん?」
「うーん、ものを半分に、半分に、半分に、とどんどん小さく砕いていったら、最後にはどうなるのか、というような話やな。分子とか原子は習ろたやろ」
「なんとなく」
「その原子やら原子核をさらに砕いていくともうこれ以上半分にできない、砕けないという状態になるわな。そういう究極の粒は素粒子とかクォークとかいうもんになるらしいんやな」
「それがなんなん?」
「それがなんなん?と言われても、しらんがな。ほんでもビックバンいうて、宇宙のはじまりと関係があるらしいな」
「ふーん」
「宇宙のはじまりやで、宇宙のはじまり!なんやすごいことやがな!」
『・・・」
いや、よくわかっていないというのは悲しいことである。


うちはダメだったけど、しかし、今朝このノーベル賞の話題を朝食の話題にした家庭はたくさんあるはずで、受賞した理論をちゃんと親から話してもらった子供はどれぐらいいるのかわからないけど、感じるものはあったんだろうな。うーむ。
って、まあ、じゃ、も少し柔らかい(?)文学賞川端康成大江健三郎の小説を読んきた人は、子供にどう教えたか。これもまあ、難しいですわな。僕は川端康成大江健三郎もほとんど読んでいないので、これまた何も話せませんけど。噂のあった井上靖開高健は死んでしまったし、あ、村上春樹も候補に上がっているらしいですね。でも、もし村上春樹が受賞したとして、どう話すんだ?「まあ、読んでみい。」ぐらいしか言いようがないではないか。
とはいえ、風呂につかりながら、湯川博士の少年時代の話やらコロンブスの航海やら卵の話やらを何度もしてくれた父のことを思い感謝するばかりです。ひるがえって僕は子供たちに何を語っているか、何を語ってきたか。いやはや。やれやれ。こうしていつの間にか手遅れは増えていくのであろうなぁ。と他人事のようにつぶやいてみるのだが、さてさて。


今日も一日作業所の掃除後始末。昨日バラした籾摺り機を掃除して組み立てる。選別機の掃除、乾燥機の掃除。昇降機の掃除。等々。作業所が広くキレイになった。ありがたい。