現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

日本農業新聞の島村菜津さんの文章

日本農業新聞が島村菜津さんの文章を載せていた。その要約。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
石油高騰とともに、にわかに食糧危機の到来を告げる特集が増えたかと思えば、石油の値段が一応の安定をみると、今度は忘れてしまったかのように終息してしまった感がある。ふたを開けてみると、その内容は商社の買い負けといったものが多くて、要するにマスコミが気にしていたのは、安く輸入する外材である。
もし日本の食糧事情が危機的状況にあるとすれば、農業、漁業、そして食の職人たちにしろ、ものづくりの技を持った担い手がいなくなってしまうというその一点にこそある、と私は思っている。
そこで、国の自給率はひとまず置いて、まずは自宅の冷蔵庫の中の自給率を上げてみようと思っている。日々の食卓を棚に上げて、世界を変えられる人などいない。
調味料の素材にまで気にすれば、日々の食卓は味わいも季節感も豊かになる。なにしろ、遠くから運んでも腐りもしない食材や、添加物を駆使してごまかした食品をすこしでも減らせる分、ずっと健康的である。
だから、寝ても覚めても国産びいきである。すると「でも国産は高い」という声が返ってくる。「コンビニ弁当やハンバーガー、お総菜を買った方が安いもの」という若い主婦もいる。それは煮物のサトイモやニンジン、フライドポテトもそれをあげるサラダ油もみんな安い輸入品だからである。
国産に競争力がないのは、農家に努力が足りないからだと言い出す人さえいる。しかし勤め人の給料が10倍にもなった30年の間に、リンゴやミカンの値はむしろ下がっているのだ。
先日も大豆問屋さんから「取引している米国の非遺伝子組み換え大豆の畑は練馬区の2/3の面積があって、それでも零細農家だ」と聞いた。日本の農家が規模が圧倒的に違う海外の農家に太刀打ちできるはずもないし、それを強いること自体、無理がある。
ならば、消費者に意識を変えてもらうしかない。今こそ、国内の生産者を買い支えることの大切さ、地産地消が実現できる地域の豊かさの自覚をしっかりと問うべきである。
先日、岩手県紫波町で、ちょっとうれしい話を聞いた。汚染米騒動のあと、和菓子屋などでも原料の仕入れ先を気にするようになって、街の名産でもあるもち米の人気が高まっているというのだ。
汚染米騒動は、多くの和菓子屋で輸入米が使われていた実態を浮き彫りにした。「和菓子こそは国産」との思い込みはあっさり裏切られた。現場が見えてくればくるほど、私たちの食や健康。環境を守る観点からみて、外材は本当に安くつくのか、そして国産は本当に高いのか、ということが消費者にも伝わるだろう。安い外材を使いながら健康や自然を謳う巧妙なマーケティングの裏をかこう。世界でそこでしか作れない味の価値を現場の事情(現場の物語)とともに伝えることが、国産ファンを増やす大きなメッセージになる。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
僕より二つ若い島村菜津というノンフィクション作家の文章を今まで読んだことがなかったのですけど、僕が感じていたことをたくさん書いてもらっていたので、繰り返し読みました。
日本の農業の一番の問題点は若い人の就農率が極端に低いことで、僕のような50歳間近な人間が「若い人」になる状況です。しかもその「若い人」の割合が極端に低いことで、日本の農業は60歳(いやいや、うーん、支えているのは65歳?)以上の百姓に支えられている(2005年の統計では農業就業人口335万人のうち60%が65歳以上。日本の全体の人口は12700万人程ですから、まあ赤ん坊からの人数ですけど、農業就業人口の少なさが身にしみます。要するに3%程の人間が農業をやっており、そのうち60%は65歳以上)という事情です。ひとつのある会社がそういう状況ならまだしも、業界全体がそういう状況なら、その業界に未来はない(あるいは逆に、ビッグチャンスの宝庫!?無限の可能性!?)と思うのは当たり前ですよね。
それから最後に書かれていた「現場の物語を伝える」というところに、なにやらグッとくるところがありました。もちろんそういうことはノンフィクションライターに任せておけばいいことで、現場の百姓としては頭をひねり天気を読んで作物を作り、その日記のようなレポートをブログに書くようなことしかできませんけどね。他人に何かを伝えようとするとき、物語(お話、小説、うーん映画も?)以上にうまく伝わることはないですよね。要するに感動とともに伝えなければいけないと思うわけです。うーん、いやはや。やれやれ。