現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

お金で買えないもの

琥珀ヱビス

朝方、雨。一日概ね曇りで、時々雨という感じ。
午前中、米の検査。今回の出荷分は「秋の詩」でしたが、今回も全量一等でした。ありがたいことです。どうやら今年は全部一等米で出荷できることになりました。
昼前からお米の発送に向けて米の選別。午後に発送できました。


昨日の日本農業新聞は「中川元農相急死」がトップ記事。朦朧会見が大顰蹙でしたけれども、ああ、お酒が好きなんだなぁ、と桂枝雀さんの「替り目」の枕を思い出したりしたわけなんですけれど、その一面に論点で神野直彦氏が「お金で買えないもの 農業こそが故郷を守る」という文章を寄せておられます。以下要約。

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生まれ出ずる故郷を見捨て、異境に移り住むことを嫌うヨーロッパの人々とは、大きく相違するといってよいだろう。日本人にとって故郷は遠きにありて想うもので、近くにありて愛するものではない。
もっとも、日本人も愛する故郷に住み続けたいと思っているのかもしれない。つまり「金」さえ手に入れば、故郷に住み続けたいと思っているのかもしれない。しかし、そうだとしても、生まれ出ずる故郷よりも「金」の方が大切だと考えていることは間違いない。
開発好きな日本
故郷は人間の生存に必要な基礎を提供してくれる。故郷の自然とのかかわりが、人間の価値観も感受性も培ってくれる。
しかし、日本人は「金」のためなら、自己を形成してくれた故郷をも簡単に売り渡す。だからこそ、日本人は開発が好きなのだ。自己の生命を育んでくれた自然を、道路を張り巡らせ、ダムを建設して開発する。開発をすれば「金」が手に入るからである。
故郷を見捨て、異境に移り住めば、労働市場があり、そこで働けば「金」が手に入る。しかし、開発の利益も労働市場の機械も刹那的なものにすぎない。輝く大都会に移り住んだとしても、今ではワーキングプアに陥ることになってしまう。
開発のために故郷を売るのも、故郷を見捨てて異境に移り住むのも、「金」のためである。それは幸福が「金」で買えると信仰しているからである。
二つの環境再生
しかし、「金」では買えないものもある。それは環境である。環境にも二つある。一つは自然環境であり、もう一つは家族やコミュニティーという人的環境である。
農業はこの二つの環境を再生させる。人間の生存に必要な自然環境とは、生命ある自然である。生命を生産できるのは緑色植物だけである。農業はこうした生態系のシステムを常に再生させていく。
しかも、農業は共同体的人間関係を前提とする共同作業を必要とする。こうした共同体的人間関係を前提とした共同作業こそが、人的環境を常に再生させる。
「金」では生命は買えない。生命を存続させるのは自然環境と人的環境である。したがって、二つの環境を再生させる農業こそが、故郷を存続させるものである。

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神野直彦氏の文章はずいぶん、皮肉っぽい書き方で、突っ込みを入れたくなるところもいくつかあるのですが、農業が故郷を存続させる、ということはよくわかります。
農業だけではないのでしょうけれど、農業に「金」では買えないものがあるのは確かでしょう。まして米や野菜は自分の畑でとれるわけですから、食べるものにあまりお金を使わなくてもすむといえばすむのですけれども、だからといって、百姓に儲けの少ない生活、昔のままのお金を与えず、お金の動きの少ない生活を強いていいとは思えません。
要するに税金の使い方も含めて、世の中の人々が何に価値をおいて、何にお金を使ってもいいかと判断する価値観の問題なんですけどね。