現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

石油ストーブをだしたこと北国脇往還のこと


なんだか寒い一日で、石油ストーブを出した。
次女の歯が少し欠けてしまって、あらら、永久歯かもと心配したけど、乳歯でした。次女は歯医者に行くのを嫌がったので「ぷっちょ、買うたるさかいな」とつったのだけれど、なかなか“ぷっちょ”ではうんとはいいません。「ほんなら、“しげきっくす”もつけたるで」といってみても効果なしで逃げ回るばかり。いやはや。


昨日の湖北の情報誌の最新刊の特集の「北国脇往還」。北国脇往還は北国街道の木ノ本宿とと中山道関ヶ原を斜めに結ぶ街道です。湖北の平野部はほぼ南北軸の条里制の田んぼがひろがっているので、北国脇往還はその条里制の田んぼの縁を階段状にがたがたと曲がっていたのでしたが、現在、だいたい同じルートを走っているの国道365号線はそんながたがたと階段状に曲がってばかりもいられませんから、条里制を無視して真ん中をずどーんと突っ切る形で敷かれています。うちの家から一番近い北国脇往還は「福良森」のあたりですから、小学校の低学年ぐらい時までは本当に「北国脇往還」という風情の道だったんです。鬱蒼とした森の脇を未舗装の細い道がついていました。それが工事が始まって森の木が切られ、道が拡幅され、土砂が運ばれて(たぶん1メートル位は高くなったのではないか、もっとかな?)きれいな舗装道路になりました。中学生の頃、深夜ラジオを聴いて起きていると、365号線を走るトラックの音がヒューーーーーンとよく聞こえてきたものです。今では住宅も混んできましたので、深夜になっても音は聞こえてきません。
音といえば、昔、幼稚園か小学校に上がった頃は、北陸線の列車の音が時々聞こえてきていました。あれはSLだったのだろうか?線路からうちの家まで直線距離で3kmほどあるのだけれど。姉川の鉄橋を渡る音が聞こえていたような気がするのだけれど。それも中学のときに北陸自動車道の工事が始まって、大きな土手がつくられてからはまったく聞こえてこなくなってしまった。
そういう意味で、ま、静か、といえば、静かなところなんですけれど。