現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

野球と富山と内山節の三連休

桜の落ち葉5

21日(土)
三連休がはじまる。
次男の野球の試合の応援と審判で竜王へ行く
夕方の帰り、国道はもちろん中山道の裏道も渋滞。


22日(日)
大学の時の仲間が集まるというので富山へいく。初冬の北陸の景色を眺めながら電車の中でずーっと落語を聞いていく。夜は富山の肴で仲間と楽しく飲んで過ごせた。


23日(月)
帰りの電車の中で南伸坊糸井重里『黄昏』読了。気楽でムダなばかばかしくておかしい話。


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日曜日の中日新聞に内山節氏が『互いの労働を尊重できない不幸』という文章を寄せていた。以下、その要約。
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フランスやドイツなどの大陸ヨーロッパで近代産業が生まれ、資本主義社会が形成されていったのは十九世紀のことであった。その当時の労働者たちが書いたものを読むと、次のことに気付く。それは、貧しさや長時間労働への批判は前面に出ていなくて、「労働の誇り」を失ったことが、資本主義への批判として語られていることである。
誇りをもてない労働と引き換えに賃金をもらって生活をし、夕方には一杯の酒を飲んでうさをはらす。それが人間的な暮らしなのかと彼らは訴えていた。
誇り高い労働とは、自己満足ができる労働のことではない。人々に尊重される労働、他者から価値を認められるような労働のことである。
当時の労働者たちは、資本主義の形成によって、労働をさげすむ社会が生まれたと感じていた。人間を物のように扱い、すべてをお金が支配し、労働が心身の消耗でしかない社会がつくられたと。
残念ながら、十九世紀ヨーロッパのこの労働者たちの思いは今日まで解決されることはなかった。一時期の「社会主義の実験」を含めてである。そればかりかこの傾向は、今日ではますますひどくなっている。
大学新卒者の四割近くが非正規雇用の労働者になっていく現実を、私たちはどう考えたらいいのか。一昔前までは、お米も野菜もお百姓さんの労働が生み出したものという気持ちを、私たちの社会は持っていたが、今では労働に対するそんな尊重の意識も薄れ、価格や農産物という商品生産の効率化のことばかりが議論の中心になっている。
他人の労働を尊重しない、あるいは尊重できない社会とは、自分の労働が尊重されない社会のことである。昨年来の派遣切りの中で私たちがみたものは、他人の労働を尊重しない経営者の様子であった。そしてその時、私たちは、その経営者の労働も尊重しなくなった。
お互いの労働の価値を尊重しない社会、他人の労働をさげすみながら展開する社会は悲しい社会だ。なぜなら自分の労働の価値を認めてもらえないなら、人間は根本のところで不幸だからである。こういう社会では、働くことが、生活や自分の社会性を維持するための手段にはなっても、人生の目的にはならなくなってしまう。
今日の世界では、雇用問題が大きな課題となっていることはいうまでもない。アメリカでもヨーロッパでも失業率は10%を超えるレベルまで来ているし、日本でも5%を超えている。働き口もなく生活が破綻していくという不安に、多くの人々をさらすような社会は断じてよくない。
だが、と私は考える。雇用対策だけですべてを終えてしまってはならないはずだ、と。お互いの労働を大事にし、尊重しあえる社会をつくるにはどうしたらよいのかという、もう一つの問題意識を、私たちは持ち続けなければならないのではないか。
労働は人間の生命活動である。この生命活動と自然の生命活動によって、私たちの社会はつくられている。この生命体の中で暮していると感じられる社会をつくらないと、お互いの労働を尊重しあう社会も生まれてこない。
雇用問題という現実的な課題の解決策を急ぎながらも、しかしそれだけですべてが終わるわけではないと言い続ける勇気を、私たちの社会はもっていたい。なぜなら、根本的な課題を忘れることは頽廃だからである。
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ブログにはあまりなじまない、いささか固い文章ですけれど、おー、とか、うー、とかうなずきながら読みました。それはやはり昨晩、いろいろな仕事に就いて、それぞれ真面目に頑張っている仲間と楽しく飲んだからでしょう。「誇り高い労働」などと力んで"しゃっちょこばる"必要はありませんが、自分ができる仕事、自分が見つけた仕事、当てにされている仕事、頼りにされている仕事、そういうところで真面目にやるしかないと思わせられます。