現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

早朝の星空と稲刈りの日々と「子等を思ふ歌」


↑一昨日の朝4時頃の空。矢印を書き込もうとしたけど、なぜかうまくいかなかった(笑)。
早朝の夜明け前の空はもう冬の星座が見えてきていますな。

19日(火)
 なかなか乾燥が上がらなかったが、午前中けっこう遅くから籾擦り。午後は稲刈りに出る。
 今日で「コシヒカリ」の稲刈りが終了予定だったが・・・。夕方、雨にやられる。あと一枚だったのに。
 まあ家のすぐ近くの田んぼだったし、雨雲レーダーのおかげで籾が濡れることはなかったが、あと40分ほど(いや、雑草が多いのでもう少しかかるかも。)降らずにいてくれたらきれいに終われたのに。と天気に愚痴をこぼしても仕方がない。

 うちは長男がコンバインを操縦して稲刈りをしてくれて、僕が籾を乾燥機に運ぶという役割で仕事をしています。親子二人で一緒に共同で農作業をしているところは少なくなってきているのでなにかと冷やかされたりします(笑)。農業の将来への展望はあまり開けているとは言えず、見通しもほとんどない、というのが世間一般の評価で、実際に農業の後継者難は昔から言われ続けてきて、農業従事者の高齢化がどんどん進んでいます。農を生業にしている(しかも楽観的な)僕から見ても「く、苦しいぜ・・・。」と声を漏らしたくなる現状なのですが、長男が農業を継いでやってくれそうなので、ありがたいことだなぁ、と思っているし、僕のできる限りのことは応援もしたいと思っているところです。ですが、長男の自分で自分の将来を切り開いていく知恵と工夫と頑張りに期待したいです。
 農業は第一次の産業で、食に直結しているし、食に直結しているということは、健康や生命に直接かかわってくる仕事なので、どんなに文化・文明が発展していっても、というか文化・文明が発展すればするほど大切にされるものだと思っているので、ま、なんとかなるだろう、とは思っています。ええ、このあたりが楽観的に過ぎると自分でも思うところなんですが(笑)。

 金銀珠宝も所詮、子の宝には及ばないなどと、もちろん大人になった子どもたちのことを、今さら、ぬけぬけとブログに書きつける気にもありませんが、また孫ができたりして、遠く離れていても動画でその歩く様子や笑顔を見せてもらうと、金銀珠宝もなるほど子の宝には及ばないわい、とか、生命への慈しみ、とか、生命の不思議さなどを改めて思い知らされますな。

 子どもは瓜が好物だったんでしょうなぁ。瓜を出されて食べていると子どもの顔が思い出される。栗を出されて食べるといっそう子どもの顔が思い出される。子どもはどこからやってきた賜物なんだろう。その顔がまぶたのうちに焼きついて寝ることもできない。ちと父親の子どもへの愛情の表現としては、この憶良の長歌反歌は、ぬけぬけと書きましたな、と言いたくなるけど、これもまた巡る生命のありようというか、生命そのものでありますわな。動物と植物はまた違うところもありますが、綿々と、連綿と続く生命ということについては同じですね。

20日(水)
 あれ?今日もまた乾燥があがっていない。なかなか乾燥が上がらなくなってきたのは、集塵機のネットにゴミが溜まってきているからだろうな。ということで、日の出とともに集塵機のネットの掃除をする。