現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「コシヒカリ」が終わったことと囲碁名人戦と貧窮問答歌


20日(水)
 朝、籾殻を捨てにいったり、くず米を農協に出荷したり。
 その後、昨日の続きで籾擦り。
 天気が気になるので、籾擦りを途中で切り上げて、さて稲刈りに出ようとしたら、ポツポツと雨。それはないんじゃない?と天に恨み言をいってまた戻ってきたんだけれど、雨雲レーダーを観ると、うちの田んぼ辺りがしばらく雨雲のヘリにあたっている。いったん様子を観ましたが、どうもまだ40分ほどはポツポツ雨の気配だし、「コシヒカリ」があと10a残っているだけなので、今日で「けり」をつけたいし、稲刈りを決行する。ヒエの多い田んぼだったので、急いでは刈れないのですが、なんとか刈り終えて、籾を作業所に運んだら、ザーッと降ってきて、なんとか間に合いました。ありがたいです。ぎりぎりでした。

 【第48期囲碁名人戦第3局2日目】芝野虎丸名人ー井山裕太王座。二日目は井山さん、ずっと押されっぱなしのようで、夕方観たら、AIの勝率が2%になっていた。ああ。YouTubeのライブ中継でチラチラと観戦しているのですが、YouTubeにはチャット機能があるので、「うーむ。タイトル戦、周囲はあーだこーだと賑やかだけど。勝負の棋士は孤独だよなぁ。」と初めてつぶやいてみたら、YouTube解説の下平陽平八段が「ええ、確かに棋士は全部自分で考えないといけないので、孤独ですよねぇ。」と解説の中でコメントをしてくださったので、妙に心の中にぽっと火がついてあたたかくなる(笑)。
 自営業の社長さんというか、CEO(最高経営責任者、chief executive officer)はみんな孤独ではあるんでしょうが、ええ、ちなみに私も辻井農園のCEOなんですが(笑)、米農家のCEOは、例えば、隣の田んぼの米づくりの様子が、丸見えになっているので、それが大いに参考になったりするので、ちょっと孤独感は軽減されます。ええ、私の米づくりも隣の農家に筒抜けなんですが(笑)。てか、隠す必要もないし、隠すこともできないし(笑)。フルオープンで仕事してます。

 あ、井山さん、投了しましたね。七番勝負で三連敗。カド番ですが、頑張ってほしいです。井山さんも芝野虎丸名人もプロ棋士ですから、私と同じ自営業のCEOではありますが、その孤独。もちろん理解などできませんが、お察し申し上げます。

 ああ、連日、斎藤茂吉の『万葉秀歌』を青空文庫で読みながら、山上憶良の歌を読んでいくのが、ちょっとした楽しみになっています。貧窮問答歌。やはりこの時代に民、百姓の暮らしぶりや税の取り立てを歌ったのはすごいことですよね。考えてみれば万葉の時代の律令体制下と現代社会のありようと基本構図はあまり変わっていないですからね。


 以下、訳してみました。

 風に交って雨が降る夜、雨に交って雪が降る夜、やるかたもなく寒いので、塩をなめながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすりつづけて、咳をしながら鼻をすすり、ろくに生えてもいない髭を掻き撫でては、自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれてはみるが、寒くて仕方ないので,麻の夜具をひっかぶり,粗末な肩衣など一切がっさいを重ね着しても寒い夜だ。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ,妻や子はものをせがんで泣いているだろう。こういう夜は、どんなにしてお前は世渡りするのか。

 天地は広いというけれど,私には狭いものだ。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれないものだ。他の人皆そうなんだろうか。私だけなのだろうか。人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない海藻のように、ぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むように身を寄せ合って嘆き悲しんでいる。かまどには火のけがなく,米を煮る器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,短いものを切り縮めるという諺のように、鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる。こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。

 この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。

 ええ、もちろん私の生活、現代田んぼ生活が、「く、苦しい・・・」とつぶやきたくなるものであろうとも、天平時代の農民の暮らしとは比べようがない。天平時代の農民は濁酒を飲んでいたのかどうかはわからないけれど、とりあえず、疲労回復と明日への活力のためにビールを飲める私とは違うし、仕事で汗みどろになったあと、さっとシャワーを浴びることのできる私とは、また違うでしょう。直土に寝るのは楽しみでやるキャンプの時だけだし、炊飯器で炊き立てのほかほかの白米も食べられる。
 もちろん貧窮の問答をすれば、現代でも貧しさにいよいよ切りがないのもわかっているのだが、格差が広がって、みんな貧しいんだから、この貧しさもどうしようもない、みんなで頑張るしかない、と思えないところが、いささかツライ。働いて、働いて、じっと手を見つめてしまうような暮らしをしている人もたくさんいるが、自分の掌など、手相のよしあしぐらいしか見つめたことがない人も多いのではないか。

 などと愚痴を書いてしまいましたが、春に植えた苗が大きく生長して、収穫の秋となり、稲刈りをして、籾を集め、毎日、玄米を積み上げている、なぜかうれしくて、ここ数日、貧窮を忘れてしまっているのですが(笑)。忘れられる貧窮ならたいしたことはないよ、と言うなかれ。人の暮らしはお金だけじゃないよ、とどこかの誰かがおっしゃったことを半分だけ信じているだけで、半分は、やっぱりお金だよな、と思っているところもあるんですよね(笑)。

 If I were a bird,I could fly in the sky. 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば。

21日(木)
 朝から曇り空。何時から雨が降るのか。