現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

今朝の池澤夏樹の文章

春の雪

Evernoteがアップデートしたので、ちょっとあれこれ見てみたら、思いのほかあれこれ使いやすい。というか、いままでブログの文章を書くのに、iMacで書いて、その続きを居間のiPadで書く、というようなときに使っていたのだが、PDFも画像もURLもなんだかなんでも投げ込んでおけば、みんな入って共有できてしまう。おかげでiMacの散らかりがちだったデスクトップもずいぶんすっきりしました。昔のMacのスクラップブックみたい、ってどこかに書いてありましたが、ほんとそんな感じ。でネット上にあるから、どこからでも見られる。素晴らしい!メモやiPhoneで撮った画像なんかもとりあえず入れておいてもいいぐらい。そうかみんなこんなに便利に使っていたのか。いやはや。


今日は一日ほんとに寒い。雪がちらついてばかり。撮ったタイミングが悪かったのか、雪があまり写っていませんが、よーく見ると雪が舞っています。実際はけっこう舞っているときにシャッターを押したのでしたが。


今朝の朝日新聞の「終わりと始まり」というコラムに池澤夏樹が「ケータイと街路と革命 人と人をつなぐもの」という文章を寄せている。以下その要約。

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独裁者は社会を縦軸に沿って造る。
自分の意向が下へ下へと滞りなく届く。それだけ。
もし国民の間に不満の声があるとしても、それは風のない日の煙のように、ただ上へ昇るものでなければならない。
大事なのは横方向への連絡を絶つことだ。国民が自分たちの不満を語り合ってはいけない。なによりも彼らが自分たちの数を知ってはいけない。潜在的な力を覚ってはいけない。
そのために秘密警察と密告奨励の制度が作られ、横向きの不満の声を掴み取って上に届ける。やがて声の源へ鉄槌が下がる。
天安門事件を起させたのはあの広場の広さだった。集った十万人の人たちは自分たちの数を目で見て確認した。それが彼らの力になった。


チュニジアに始まった「ジャスミン革命」があちこちに飛び火して大火になっている。チュニジアのベンアリとエジプトのムバラクの政権は焼け落ち、リビアが炎上中。その他いくつもの国で火の手が上がっている。
なぜ燃えるかといえば、そこに可燃物があったからだ。独裁者はそれを知っていて、万一なにかの事故で火がついても燃え広がらないように縦割りの箱に納めておいた。しかし今回はそれが通用しなかった。
火を伝えるのはケータイであり、小さなビデオカメラであり、フェイスブックツイッターなどの個人発信のメディアだ。人と人とを直接つなぐ道具。横の連絡網。
為政者にとってこれほど腹立たしいものはないだろう。火が出た場合のために造っておいたファイヤーウォールがなんの役にも立たない。
アルジャジーラベンガジ市街の騒乱の様子を送ってくる。揺れて、ぼけて、構図などないも同然、映像としては落第だが、それが逆に臨場感を強調する。これは行儀よくスタジオで作られたものではなく、現場の喧騒の中で生まれたものだと嫌でもわかる。そこで何かが起こっているのだ。
日本にいる僕たちが見ての興奮などどうでもいい。リビア国内の他の地域、マグレブから中国までの国々の人々にとって、この揺れてぼやける映像が伝えるメッセージは強烈だろう。同じことが自分たちの町でも起し得ると知るのだから。
中国でインターネットを通じて伝えられた「茉莉花革命」を呼びかけるメッセージを見た。まずはデモへの参加の促し−−−
1 当初は散歩を装って、スローガンを叫ばず、多くの人が集まることを目標とする。
2 お互いあまり喋らない。話すとしても話題は「インフレ、国民の福祉、汚職、公務員の資産」くらいまでにして、「一党独裁」を終わらせることは口にしない。
3 「堅持和平理性非暴力」(これは訳さなくてもわかる)。故意に乱暴を働くものは敵の」工作員だから排除する・・・などなど。
発信者は古参の共産党員を名乗っている。それでももう一党独裁でやれる時代ではないと言っているのだ。
同じ内容をビラで配るのとインターネットやケータイをなどの新しいメディアを使うのでは伝播の速度が違う。運動において勢いは大事だ。単純なデモへの誘いを一人から数人に送り、それが何段階か繰り返されれば、あっという間に数百万人に伝わる。
町へ出ようと人々が動き出す。


歴史を振り返ってみると、成功した革命はみな広場と街路から始まっている。フランス革命バスティーユから、ロシア革命ペトログラードの女性たちのデモから始まった。
今のアメリカのいちばんの大物作家といえばトマス・ピンチョンだが、彼の初期の作品にしばしば温室と街路というメタファーが現れる。
温室は保守である。閉じた部屋を造って、価値あるものを中で守る。日光は入れるが冷たい風は遮断する。それに対して街路は開かれた活動の場だ。人々は動き、出会い、冷たい風に耐えて新しいものを作り出す。
エジプトからのニュースを見ていると、ムバラク打倒が温室対街路の戦いだったことがよくわかる。究極の街路としてタハリール広場があった。
そしてケータイやインターネットは優れて街路的・広場的な道具なのだ。
森林から草原におずおずと出て直立した時代以来、我々は不器用なコミュニケーションで互いの気持ちを確認し、グループを作り、生き延びてきた。やがて言葉というものを得て、ヒトは地上の最強の種として躍進した。ケータイはその延長線上にある。
1989年6月4日の中国にケータイがあったら、天安門の成り行きは変わっていたかもしれない。
あの時期、主なメディアはまだテレビだった。だから戦車を停めた白シャツの青年の画像が世界に広まった。だが、テレビは検閲できる。国内では見せないようにもできる。ケータイの使用を制限するのはずっと難しい。この先、ケータイはカラシニコフ以上の武器になるだろう。
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天安門の時にケータイとネットの普及があったらとは、僕も何度か思ったことでした。それにしてもこの上品で鮮やかな文章はどうだ、と朝からうっとりしたのでした。


でもインターネットは意外とあっさり遮断できるものなんですね。今はそんなことを感じています。
京大入試のカンニング事件が大騒ぎになっていますが、匿名社会のようで実は匿名でもなんでもないというか、要するに自分で考えて行動し、自分で責任をとる、という、ネットの中でもそういうことが当たり前の社会なんだということとその脆弱さと、ややこしいところではありますね。
フィリピンで昔まず第一にテレビ局を占拠したように、ここぞというときにはネットの回線を抑えるというのも戦術なのでしょう、っていわずもがなですけれど。