現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

教授のコンサートと石垣りん

朝、キツネが田んぼの雪原の上をあるいているのを見かける。いつも一匹なんだけど、一匹でいいのかな。レノン号がさっそく追いかけたけど、表面だけ固まった雪の上をキツネは沈まずにすたすた走れるんだけど、レノンは体が大きいので少し沈んでしまうので走れないんだなぁ。キツネは悠々と後ろを振り返りながら逃げていったのでした。


年賀状に書きつける俳句をひねり出し、年賀状作り。


坂本龍一のコンサートが四日にわたってライブストリーミングでネットで放送されている。「こどもの音楽再生基金」のチャリティーコンサートです。僕は昨日と今日の二日間の分しか見られませんでしたが、とても良かったです。教授のコンサートにも行ってみたいと思っていますが、まだ行けたことないですしね。ピアノソロのコンサートなんですが、ゲストが呼ばれていて、昨日は細野晴臣さん、今日は雅楽の笙の演奏家、東野珠実さん。トークもなんだかちょっと面白かったです。ピアノの脇に置いたMacBook Proから音楽流したり、教授が直接ピアノの弦をはじいたりこすったりして音を出したり。


一昨日、昨日と石垣りんの詩をすこし紹介したら、昨日の「儀式」について感想のメールをいただきました。
“「塩で味つけられたやさしい言葉」だと思います。
生きること、生活すること、たべること、それは間違いなく他者の命を奪い続けることだと知っている人の言葉ですね。”


石垣りんさんには “食わずには生きてゆけない。” から始まる「くらし」というすごい詩があるのですが、農業をやってみて、たくさんのいろんな生き物と接することが増えたからかどうか、命とか生命とかについて、はっきりよく判らないまでも、なんだかいろいろ感じたり考えたりすることは増えました。輪廻とか言うことばがありますが、本当のところ仏教で輪廻とはどういうことをいうのか知りませんが、なんだか、命の循環というのか、巡る命の不思議さというか、そういうことをすこし感じるようになってきています。って、こんなこと書いてしまっていいのか?(笑)。まあ、いいんですが。


さて、そのメールで石垣りんさんの「不出来な絵」という詩を教えていただきました。さっそく石垣りん詩集を出してきて読んでみました。うーむ。いい詩だなぁ。


    不出来な絵


  この絵を貴方にさしあげます

 
  下手ですが
  心をこめて描きました

 
  向こうに見える一本の道
  あそこに
  私の思いが通っております


  その向こうに展けた空
  うす紫とバラ色の
  あれは私の見た空、美しい空

 
  それらをささえる湖と
  湖につき出た青い岬
  すべて私が見、心に抱き
  そして愛した風景


  あまりにも不出来なこの絵を
  はずかしいと思えばとても上げられない
  けれど貴方は欲しい、と言われる


  下手だからいやですと
  言い張ってみたものの


  そんな依怙地さを通してきたのが
  いま迄の私であったように
  ふと、思われ
  それでさしあげる気になりました


  そうです
  下手だからみっともないという
  それは世間体
  遠慮や見得のまじり合い
  そのかげで
  私はひそかに
  でも愛している
  自分が描いた
  その対象になったものを
  ことごとく愛している
  と、きっぱり思っているのです


  これもどうやら
  私の過去を思わせる
  この絵の風景に日暮れがやってきても
  この絵の風景に冬がきて
  木々が裸になったとしても
  ああ、愛している
  まだ愛している
  と、思うのです
  それだけ、それっきり


  不出来な私の過去のように
  下手ですが精一ぱい
  心をこめて描きました。




うーむ。不出来な絵、不出来な過去、不出来な私、・・・。それでもわたしは好きなんです。よろしくお願いします。
“それは世間体/遠慮や見得のまじり合い” 僕も田んぼの中ではありのままの自分なんですけれどね(笑)。