現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

キットタケナガ『心に残る名風景 日本の棚田』と望月迪洋氏の文章

今日は長女が耳鼻科と皮膚科とはしごをするというので、車で乗せていってやる。もっとも僕は車の中で本を読んで待つことにした。


キットタケナガ『心に残る名風景 日本の棚田』(ピエブックス)読了。19.4 x 18.2なので、そんなに大きな写真集ではない。でも美しい田んぼがひろがっています。どれぐらいの傾斜というか、畔の高さがあれば棚田といえるのだろう。平野部だと隣の田んぼとほとんど高低差がないというところもあるが、ま、日本列島は傾斜地がほとんどだから、いたるところに棚田が存在することになる。うちの田んぼも谷あいから平野部に開けた扇状地の端にあたる所なのでそこそこの傾斜があって圃場整備されたといっても三反で一枚の田んぼにするのがやっとという所です。
それにしても田んぼが美しい。キットタケナガ氏が九州出身ということなのか、比較的九州の田んぼが多いように思います。海と山と田んぼが一枚の写真におさまっている景色が何枚かあり、それもまたこのあたりの自分の田んぼの景色とは違った感じで新鮮。
写真のページには撮影場所など説明が一切ないので、最後にまとめてある撮影場所を見ないとどこの田んぼだか判らないのだが、桜が一緒に写っていたりして、なんとなく肌に合う美しい田んぼの写真だなぁ、と思っていたら、その二枚は二枚とも滋賀県の写真でありました。大津の田んぼなので、同じ県内でも、まったく知らない田んぼですが、それでも同じ地域の田んぼはどこかわかるのですね。今森光彦氏の撮る里山の田んぼも美しくて好きなのですが、キットタケナガ氏は自身も新潟の棚田を耕作されてもいるからか、また田んぼへの向けるまなざしも構えたところがなく、じつに自然です。それから田んぼだけでなく、お百姓や通学の子ども達、祭、結い、電車、つまりそこで暮らす人々もちょっとかいま見ることができる写真集です。
それにしても、どの田んぼも急斜面で、小さく、水管理も大変だろうし、さぞ作りにくかろうとは思われるのですが、気持ちよく手入れされている田んぼです。耕作者の心意気を感じます。



さて、昨日の日本農業新聞に載った望月迪洋氏の文章。以下、その要約。

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現代の農業が喪失したものは、なんだろうかと考える。思いついたのは、農業をやろうとする気持ちの張りと楽しみだろうかと。農業のインセンティブ(誘因)として、農産品の価格引き上げ策や農家所得の補償策が議論される。だが心情や心理面からの検討はどうだろう。村では70代、80代でなお現役というのが実態だ。老人たちの楽しみ、ひと息つける「心の茶の間作り」は欠かせない。

なぜかといえば、昔の農作業の光景を思い出すからなのだ。正確には野良仕事の合間の休憩時間、その楽しかった鮮やかな記憶である。

先日、母の葬儀で佐渡の実家に帰った折、村の懐かしい方々と昔話に花が咲いた。皆それぞれに歳を重ねて、聞けば80歳は越えて、90歳越えも幾人かいる。亡くなった母が94歳だから、考えれば当然なのだが、会う方々はしわこそ増えたものの、昔のままに若々しい。

白布に覆われた母の棺を前に、いつしか車座で昔の田植えの思い出話になった。当時は、集落こぞっての「結(ゆい)」があったから、女衆だけで10人は優に集まった。笑い声が一帯に鳴り響くという感じで、なんとその賑やかだったこと。

まだしゅうと勤めがつらい時代だったから、話題の第一は嫁いびりの姑をこきおろす愚痴話が多かったが、陰気で気がめいる様子ではない。必ず当の姑の耳に入るから、どこかで落ちをつけて笑い話に脚色する。それをみんなでやんや、やんやとはやし立てて、どっと沸く笑いの渦。夫との色話も飛び出せば、さらに一座の空気は高揚した。

まだ子供だったから、話の中身には不可解な部分もあったのだろうが、とにかくワクワクした感じで、楽しくて仕方がなかった。

子供も結構、役に立って、忙しかった。仕事は苗代からの苗運び。早朝4時半から苗代に入り浸りの母のもとから早苗を受け取り、田植えする女衆たちの列に苗を投げ渡す。

もうひとつ大切な役割が「子付け」と呼んだおやつの手配。午前10時、午後3時の2回用意する。母があらかじめ注文したお店のものがパンや大福を田んぼまで運ぶのだが、その到来を大声で一同に告げる。ときにはアイスキャンデー屋の自転車も通るので、彼を呼び止めることも大事な役目だった。

今では、機械化で稲作作業も家族単位になり、大勢の「結」も消えた。そして、 ひとときの大笑いも。あの頃に比べ家々は建て替えられ、ハイカラになった。農作業も機械のおかげで短縮された分だけ、老人たちが一人でいる時間は長くなった。「田んぼはどうすんだちゃ。帰ってこいっちゃ。」最後は、老人たちに問い詰められてしまうのだ。

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もちろん、農業の機械化が悪いことじゃないけれど、時代とともに失われてきたものもたくさんありますね。僕が子供の時には、近所の人に手伝ってもらっての田植えというのは、もうありませんでした。母の親元から手伝いに来てもらったり、こちらが手伝いに行ったりということはありましたけれどね。もっとも母は田植えがとても速かったので、そういう手の速い友達と何人かで、田植えが一月ほど遅い岐阜の方へ、こちらの田植えが終わったあと何度か田植えのアルバイトに出かけたと言っていました。

しかし、まあ、今でもお母さん方が何人かお集まりになるとおしゃべりに花が咲きますが、それは昔も今も変わりませんね。