現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

プール苗代の床づくりと養老先生の文章と野菜栽培研修会


今朝は、放射冷却もあって、大変良く冷え込んで、田んぼ道では、霜柱があちこちにたくさんできていたが、その分、太陽が出てからは、気温がぐんぐんあがった。
と思ったけど、気象庁のデータでは長浜は最高気温が9.5℃(15:31)で10℃に届いていないんだな。三月上旬並だから、普通なのか。でも昨日よりは3.2℃も高かったから、暖かく感じたみたいです。
画像は今朝の日の出直前の空。犬の散歩の途中にパノラマ撮影。


僕があれこれしているうちに、父がプール苗代の床を作るための代かきをしてくれた。天気がよかったので、父も動きたかったのでしょうね。


養老孟司先生の文章が今朝の日本農業新聞に載っていた。以下その要約。

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若者を連れて歩く。たまたま田んぼが目に入る。「あれは将来のあんただよ」というと、ポカンとしている。何も言われたのかわからないらしい。「田んぼで稲が育って、米がとれるだろ、その米を食べると、それがあんたの体になるだろ、それなら田んぼは将来のあんたじゃないないか。」そこまで説明しないといけないのである。「魚を食べたら海があんなにあんたになるじゃないか。」次にそう言うとさらにぽかんとしている。今まで考えたこともなかったらしい。


今では小学生でも環境という言葉を知っている。環境省というお役所まである。だから環境とは「官許」の概念である。つまりお国が正式に認めているのである。では環境とは何か。「自分を取り巻くもの」である。それなら「自分」は環境の裏の概念で、それも暗黙に「官許」されたことになる。だから、いまや人々は自己中なんでしょ。人はもともと自己中心だといってもいいけど、昔の自己中は「官許」ではなかった。滅私奉公ですからね。
ところが地面であれ海であれ、いわゆる環境は自分とは地続きである。空気を考えてみよう。肺の中には常に空気が入っている。呼吸とともに絶えず入れ替わっているけれども、それは体のすべての成分でも同じことである。アポロ11号で月面に着陸したアームストロングは、宇宙服を着ていなければならなかった。空気がないと、即座に死んでしまうからである。
では伺うが、それがなければ、直ちに死んでしまうもの、それは自分の本質の一つではないのか。そう考えていけば、環境なんてありはしない。環境は自分であり、同時に自分はその一部である。中国人の肺は中国の大気とともに汚れる。
田んぼも海も空気も、本来自分とは無関係だ。そう思うのは現代人、実は都会人である。ジャーナリズムは都会のもので、田んぼで働いたあとで新聞を作っている、というわけではない。だから言論は、こういう問題には無力である。

現在の日本で1次産業に従事する人は、おそらく4%に満たない。だから「田んぼは俺じゃない」で済んでしまう。教育や理屈で「環境は大切だ」と教えても、それに実感は無い。大気が汚染すればマスクをかける。それで「自分は守れる」と思うのだろう。放射能で汚染した地域からは、逃げればいい。でもどこへ逃げても、現代社会からは逃れられない。
いい加減に「自分には無関係」という考え方をやめないと、世界が壊れる。何も難しい注文をしているのではない。毎日田んぼで働けとも言わない。ただ考え方を変えたらいかが、と提案しているのである。
弁当の米を1粒残すと「作っているお百姓のことを考えなさい」と叱られた小学生時代が懐かしい。自分だけで生きているわけでは無い。これも当たり前だが、本当にそう感じているのか。だから小学生が自殺するのであろう。命は自分のものに決まってるじゃないか。それを自分で左右して、何が悪い。大人が暗黙にそう教えているに違いない。

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いつ読んでも、この先生の文章は言葉足らずで皮肉っぽいのでわかりにくいが、嫌いではない。たぶん養老先生が虫好きだから、なんとなく親しみをずっと持っていて、ひいき目に読むからだろうか。
でも今日の文章は比較的わかりやすいような気がします。


お昼前に市役所に寄ってちょっと話をして、午後は野菜栽培新技術研修会に参加する。DVDを観たり、指導員の方のお話を聴いたり。4時間近くあって長かったのが、辛かったが、でもあれこれ勉強にもなったし、刺激にもなりました。
僕は家の畑の野菜づくりも父母にまかせてあるので、知らないことばかりなのだが、こういうことは実際にやってみないとわからないことですわな。


夜は寄り合い。まあ、しかし、夜の寄り合いが続く。