現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

『そばや今昔』読了と苗箱の土入れ開始


24日(月)
今日も朝からいい天気。ただちょっと朝は霧が出ていて、伊吹山がはっきりしない空模様。今日が伊吹山山頂から太陽が昇る日なのか、と思いましたが、どーも、今日というわけでもなさそうな。でもね、犬の散歩しながら気がついたのですが、うちのあたりから伊吹山の距離がそこそこ近いので、ほんの100mも南北に移動すれば、けっこう太陽の位置が変わりそうなんですな。なるほどね、と一人つぶやきながら、とりあえず明日の朝も晴れて欲しいなぁ、と思ったことでした。


今日はあれこれ作業所の中の掃除やら整理をして、苗箱の土入れ作業に備えました。夕方には農協から土を運んできましたので、明日の朝一番から作業開始できそうです。


お昼前に次男がどうも花粉症を発症したようなので、耳鼻科につれていく。平日とはいえ、春休みだし、この時期の耳鼻科の混雑具合は噂に聞いていたので、午前の診察受付終了の30分前という微妙な時間帯を狙ってみたら、これが大当たり。待合室には誰もおられず、5分で診察室へ入ることができました。ふふふ。もっとも診察も3分ほどでしたが。


堀田平七郎編『そばや今昔』(中公新書)読了。浅草の並木薮蕎麦の店主の文章。大正時代から昭和の30年代までの文章です。戦前の文章が多かったでしょうか。
これがまた、昔かたぎの蕎麦屋さんのしみじみ味わいがある文章です。おそば屋さんの組合の会報なんかに載せられた文章が多いようですが、皮肉と逆説がわりとちりばめられています。蕎麦という江戸趣味というか、関西の私にはちょっとわからないところもあるのですが、蕎麦というものを芸術的なものにまで高めていった人の話です。
戦前の不況の中で、江戸から明治と流れてきた蕎麦を打って食べさせるという蕎麦屋の文化が語られます。レシピはないんです。レシピはないんですが、突き詰めるという、そういう精神。志と人格の問題になっていくんですな。今風ならオタクとかにもなるのかもしれません。それはたぶん組合の会報の文章が多いみたいですから、蕎麦業界全体のレベルアップを視野におきつつ書かれているのだと思います。
ですから、話はなにも蕎麦屋さんだけのものではないんですね、百姓の米作り、栽培の心構え、食べ物を供給するものの人格と志、それから芸術性に通じるものとなります。


昔、上方落語桂吉朝さんが、「なんで蕎麦なんていうものがあるんでしょうね、うどんがあったらそれでええやないか、と思っておりました。じつは、大阪の蕎麦はまずかったんですね。最近は大阪でもおいしいお蕎麦を出す店が増えてきましたけど、今でも頑なにまずい蕎麦を出す店がありますね。それと比べると東京はだいたい当たり外れがありませんね。東京のお蕎麦はうまかったんです。」と落語のマクラで話しておられました。このマクラからして、関西人が江戸の、東京の、蕎麦文化をいかに理解してこなかったか、ということがわかると思うのですが、東京の蕎麦が当たり外れがなくおいしいお蕎麦にしてきたのが、この『そばや今昔』に出てくるような話なんだろうと思います。東京の落語には「おらぁ、蕎麦っ喰いだからよぉ。」なんてぇセリフがよく登場してきますが(もっとも落語の蕎麦屋はもっぱら屋台が多いのですが。)、蕎麦っ喰いなんていう文化は東京のものですな。


じつは、この本は、大学時代の恩師から「読んでみてください。」と送っていただいた本なのです。今月の初めにストーンズのライブを観に上京したついでに、江戸落語蕎麦屋でちょっと飲むという企画を立てたのですが、そんな私の東京顛末ブログを読んでいただき、送っていただきました。本当にありがたいことです。東京の蕎麦屋さんのこだわりというか熱意というかオタクぶりというか、そういう真面目な一生懸命さが、今、自分が頑張っているおいしい米作りに通じるような気がして、よけいに身にしみます。正直に、真面目に。そういう価値観が軽んじられることのない社会、というか世の中、世間であることを希望します。


「正直貧乏」という言葉や「清貧」という言葉は、どこからの視点の言葉なんでしょうね。本人の視点なんでしょうか。それとも世間からの視点なんでしょうか。
ま、あまり自分で自分のことを「清貧に甘んじている」とは言いませんね。「おれは正直貧乏だから」とも言いませんね。


蕎麦屋でちょっと飲む、というようなことを考えたのは、もちろん山口瞳池波正太郎の影響です。ですから蕎麦屋で「抜き」で飲む、というようなことをしてみたかったのです。「天抜き」、「鴨抜き」。だって、「蕎麦屋が一番うまい酒を厳選して用意している。」だの、「うまい汁を飲みながら飲む酒が一番うまいに決まっている。」などという文章を読んできているのですから、やっぱり蕎麦屋で浅酌してみたいわけです。
恩師は、すばらしい漢和辞典がたくさんある中で、家庭に一冊常備というような広辞苑的な漢和辞典ではなく、漢文や中国古典の学習者、高校生からプロの研究者まで、とにかく勉強しようという人向けの大ヒット漢和辞典(三省堂の『漢辞海』です。)を編纂された先生なので、文献ということについては、プロ中のプロなのですが、要するに、蕎麦屋で飲む、というとき、東京の、江戸の、蕎麦を楽しむというとき、山口瞳池波正太郎や落語だけではなくて、それ以前に、こんな本もあるよ、と教えていただいたわけなのです。
きっと山口瞳池波正太郎も、この文章を読んで浅草の並木薮蕎麦に行ったに違いありませんね。


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25日(火)
朝のうちは少し晴れ間もあったが、その後、ずっと曇り空。朝のうちに何枚かiPhoneで梅の写真を撮ったのだが、まだ太陽の光が当たっていない時刻で、写真としては、いささかツライ。


終日、苗箱の土入れ作業。長男が手伝ってくれて、大いにはかどる。ありがたい。もう最近は、苗箱の土入作業などというものは消えつつある作業で、種籾の播種と同時に苗箱に土入れをするというのが、一般的になりつつあるような気がするのだが、うちは諸般の事情で、土入れは土入れで、やっております。
昨日、「明日は苗箱に土入れするけど、じいちゃんもばあちゃんも、だいぶ年で弱ってこんた。」とだけ長男に話しておいたら、ちゃんと、朝、着替えて作業所に出てきた。えらい。


夕方、長男に「これからビール買いにいくけど、あんたの分も買うてきたろか。」と声をかけると、「うーん、ビールはいらんけど、ポカリを買うてきて」と笑顔でいう。まだ長男はビールのうまさに気がついていない気配だが、労働のあとの疲労の心地よさには目覚めつつあるかも。もしそうなら大変うれしいのだが。