現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

法事と会食と高畑勲監督『かぐや姫の物語』


14日(土)
祖母の23回忌をつとめる。ご近所や親戚にお参りしてもらう。その後、一緒に会食。この法事のあとの会食を「お斎(おとき)」と呼ぶのだと、今初めてネットで知った。この辺りではそんなふうに呼んでいる人は誰もいない。というかそんな名前を聞いたことがない。ウン?あれはなんと言っているんだろう。こういう仏事は地方によって、また宗派によっても、呼び方が違うんでしょうね。このあたりでは、浄土真宗の僧のことを、「ごえんさん」と呼んでいます。そういえば、法事のことを「おたいや(お逮夜?)」と言っていたような気もするが、もうあまり聞かなくなってきたなぁ。


料理は近所の料理屋さんの仕出しのパック料理を出しました。それに、お汁(基本、豆腐汁です。おすましというのか、出汁と醤油で味付けしたお汁。)をつけて、あとは鉢物をすこし(今回は筍の煮付け)、あとは漬物をいくつか、という感じ。お斎といっても、精進料理を出すわけでもなく、パックには刺し身は必ず入っているしなぁ。
僕が小さかった頃は、ご近所の奥さん方に、料理の手伝いをしてもらって、朝からお汁をつくってもらったり、鉢物をつくってもらったり、また何か家から漬物なんかを持ってきてもらったり、台所で女の人がワイワイと言いながら料理を準備して頂いていたような気もする。あとお燗をつけてもらったり。考えてみればなかなか大変なことですわな。今回は子どもたちもいますので、自分のところだけでするつもりだったのですが、仲人をしてもらった親戚がエプロンを持ってきてくださって、ちゃっちゃとお汁のおかわりやらお銚子を集めてくださったり、お手伝いしてくださって助かりました。



もう十何年前、いや二十年くらい前か、「生活改善」という名前だったか、地域の取り決めが出来て、こういう時には、一汁三菜にして、よばれていく方も、ご仏前を包まなくてもいい、というような取り決めをしたような気がするが、・・・。
うーむ。ま、こういう取り決めそのものに無理があるような気がするな。お金持ちは、料理屋でもホテルでも一室を借りて豪勢に振る舞えばいいのかもしれないし、そんなことが出来なければ、家でそれなりのものを出せばいい。法事なのだから、他所と比べることなく、妬まず、うらやましがらず、亡くなった方や先祖を偲んで皆が集まり、話をし、今の暮らしに感謝をすればそれでいいのだろう、けれど、なかなか、そうもいかないようなのだなぁ。



うちの家は昔ながらの農家の田の字型の家で、一番過ごしやすそうな南側の二間は座敷になっていて、ま、普段は基本的に使わない作りになっている。が、こうした時には、ふすまをはずして二間を一つにして、皆さんに座ってもらう。「お斎(おとき)」の時は、一番上にごえんさん、で、ぐるりとまわりに座ってもらって、食べてもらい、僕はその間に座って、お酒をすすめ、話をとりもちつつ、杯をあちこち回したりする。
俳句の季語に「夏座敷」や「冬座敷」というのがあるのは、知っているが、「春座敷」はあるのかな。「春障子」というのはありますね。


15日(日)
昨日の後始末。座布団を干したり、食器を洗って干したり、上敷きをいれたり。
ほんとうは上敷きを敷く前に撮ればよかったのだが、その時には気が付かなかった。ま、春の座敷です。


水路の水漏れの箇所がよくわからないのだが、コンクリート製の水路の枡と水路の繋ぎ目が怪しい気がして、そこにコーキング材を詰めてみた。うーむ。


先日テレビでやっていた高畑勲監督『かぐや姫の物語』の録画を、ま、途中風呂いったりして、全部じゃないが、概ね観る。いい映画でした。次女は公開の時に映画館で観て、中学の国語の授業で観て、テレビの放映を観て、今回も観て、なかなか観ているようなのだが、「なんか、最後が・・・」と言ってました。なるほど、まあ、ちょっとあっけないですからね。月に帰って行ってしまうわけで。まあ、あんまり「竹取物語」に話を盛ってもねぇ。僕は最後のあっけなさより、圧倒的なその動く絵が素晴らしかったです。宮粼駿監督の『風立ちぬ』とジブリで同時に平行して作られていた作品ですけど、僕は『かぐや姫の物語』の方を推したい。宮粼駿は『かぐや姫の物語』を観て、どう感じたんだろうなぁ。