現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「みどり豊」の在庫が残り5kgと『今森光彦の心地いい里山暮らし12ヶ

『今森光彦の心地いい里山暮らし12ヶ月


11日(金)
朝から快晴。でも風は冷たく、わりと寒い。でもクルマの中に入ると陽射しがあるので、温室状態。


午前中はあれこれ書類を作って農協へ提出。
午後はあれこれあったが、『今森光彦の心地いい里山暮らし12ヶ月』(世界文化社)読了。今森光彦氏については今さら言うまでもないが、あの『昆虫記』(福音館書店)の著者でありカメラマンである。『世界昆虫記』(福音館書店)もあって、しばらく長男の絵本になったが、長男より僕の方がたぶんよく眺めていた。二冊ともスバラシイ本であります。一時、「里山」が本当にブームになったが、この里山のブームを作ったのは今森光彦だなぁ。僕もわりと昆虫は好きなほうだし、今森光彦滋賀県の人なので、『昆虫記』が出た1988年ごろ(僕はすでに学校を卒業して就職していました)、職場の職員の研修会の講師を探していたのですが、職場の変態的に虫好きの先輩が、「今森光彦ならよく知っているので、頼めば、たぶん講演に来てくれるんじゃないやろか。」とおっしゃるので、「ほんまですか!?じゃ、お願いしますよ。」と言うと「あーた、自分が虫が好きやでそんなこと言うて、みんなに受けるかどうか、わからんやろ。虫の話やで?」と軽くいなされてしまったが、ま、それも一理ある。またあるときは、「うん、今森光彦な、高校の時の同級生やったんよ」とおっしゃる山登りの先輩もいて、「ええ!!ほんまですか!?」と言うと、「ほんま、同級生がまさかなぁ、こんな有名人になるとは思わんかったわ」などとおっしゃるのである。なるほど。まあ、普通、誰でも同級生が世界的な有名写真家になるとは思いもせんですわな。僕の同級生でも出世して、というかこの出世という語が微妙だが、あまり最近は出世って使わないような世の中になったしなぁ、世に出る、ということなら、まあ、社会人になることは世に出ることだしなぁ、まあ、とにかく、社会的にそこそこ(そこそこというと失礼だが、まあ、同級生ということでお許し願いたい)立派な肩書きや役職の同級生は、たくさんいるが、「世界的に有名な」ということになると、誰もいないような気がする。いや、僕が知らないだけかもしれないが。えー、おい、わしが世界的に有名なのを知らんのか!バカ者め!と言いたい同級生がいたら、遠慮なく名乗っていただきたい。不明を恥じて謝りますので、飲み明かしましょう、おまんのおごりで。
まあ、話はずいぶんずれてしまったが、そんなこんなであたしは今森光彦氏の本をわりと追い続けております。最近は写真家と同じくらい切り絵作家としても有名になってきて、この『心地いい里山暮らし12ヶ月』でも、ゴージャスな切り絵が載っていて驚かされます。初期の頃のというか、切り絵やりはじめました、という頃とは作風も変わってきていて、いや、ほんとにスバラシイのですわ。
いくつかの疑問。その一、アトリエと呼んでいるけど、ここは自宅ではないのか?その二、写真に若い人も何人か登場して写っているのだが、一枚だけ「長女」とキャプションのついた小さな写真があるが、他の方もご家族?それとも写真のお弟子さんとか?
12ヶ月のその暮らしぶりが、なんだかとってもカッコいいので、僕も真似して家のまわりに雑木林や池を作りたくなってしまった。しかしうちは集落の中にあるので、それも無理にはちがいない。しかしなぁ、今森光彦さん、ちょっとこの本はオシャレすぎない?


あ、ありがたいことに辻井農園の「みどり豊」の在庫があともう5kgになりました。お早めにどうぞ。ありがとうございます。



12日(土)
ちょっと早起きしたので、外に出てみる。まだ暗いが東の伊吹山の方だけ白くなって山の稜線が浮かび上がっている。大昔の娘さんがこんな景色を文章にしたのが残っていますね。紫だちたる雲は細くたなびいていませんが。あ、それに電線も電柱も携帯電話のアンテナの塔も昔はなかったでしょうね。
朝のうちにお米の精米など。
それから次女にせがまれてせがまれて携帯電話を買いにいく。いやはや。あまい親で困る。ちょっとせがまれたくらいで、あまい顔をしているようでは、・・・。
しかし、孫さんに言っていいのか、ティム・クックに言えばいいのか、スマホ、高すぎませんか?!よくできた製品なのは認めます。大いに認めますが、儲け過ぎじゃない?
ソフトバンクのお店に行ったのだが、隣の席には、AQUOSを購入する気配のお兄さんがお友達を連れて二人で来ていたのだが、話を盗み聞きしていたら、今、AQUOSは2万円しないらしい。娘に購入したAppleのは・・・。恐ろしくてここに書けない。
道理で、娘もニコニコだが、店員さんもニコニコのはずだ。バカな親がここにいる、とつくづく思う。




13日(日)
来週は田んぼの排水を集める川の藻上げをするのだが、午前中は、役員5人で、川べりまでいきやすいように、歩きやすいようにと、川の法面の枯れ草を焼く。むふふ。わりとよく燃えました。これで来週はみなさんに頑張っていただけるでしょう。


昼食後にNHKの教育テレビでやっている囲碁対局を観る。NHK杯の準決勝で、河野臨九段と寺山怜四段の一局。あ、いうておきますが、私は、碁のルールを知っているだけの初心者です。ですので、解説の王銘琬九段の話も司会の長島梢恵二段の話もまったくわかりません。それでもわりとよく観てるんですこの番組。今日はね、すごいシーンがありました。寺山怜四段がね、途中、白番で右下のあたりに打ったんですな、白を。すると解説の王銘琬九段が「これはちょっと・・・」と言うようなことを話しておられたら、もちろん解説の声など対局者に聞こえるはずはないのですが、突然、寺山怜四段の顔が真っ赤になって首をかしげ、頭を抱えるようにしておられる。もちろん対局中の棋士が、自分が有利だからといって、ニコニコしているような棋士はいないし、下手な手を打てば途端に厳しい表情になったり、ぶつぶつつぶやいたりすることは多いのだが、ま、心理戦というところもあるし、悟られないようにポーカーフェイスでいたり、多少大げさに演技したりすることもあるかもしれませんね。でも、寺山怜四段の顔が真っ赤なんです。しかも急にグッと紅くなったのが、画面を通じて伝わってくるんですな。寺山怜四段は平成2年生まれらしいですから、26歳。若い棋士が自分の打った石に後悔してもだえている。もういっぺんにファンになりました。
テレビ中継されている対局で赤面してもだえ苦しむ若いプロ棋士。いいじゃないですか。若いプロ棋士の一気にカーッと赤面して悔恨してもだえ苦しんでいる姿の正直で初々しいこと。顔を真っ赤にする人は、自分も若いころはそうだったような気がするし、回りにもよくいたようなきがするが、最近はそういう人はあまり見かけませんね。そうでもないのかな?
勝負はね、王銘琬九段のずっとしゃべり続ける饒舌な解説に、よくわからないなりに、はらはらひやひやさせられました(笑)。でも寺山怜四段が河野臨九段(昭和56年生まれですから若いんですけど、ま、九段のベテラントッププロですね)に、中押し勝ち。応援した甲斐がありました。
今日が準決勝でしたから、次回は決勝ですね。相手は張栩九段です。これまたベテラントッププロですね。来週は川掃除・用水路掃除で対局は観られないのですが、応援してますぜ。



先日、朝の犬の散歩の時にフキノトウを見つけたことを書きましたが、今朝、うちの田んぼの畔に寄ってみると、出てましたフキノトウ。自分の田んぼの畔ですから除草剤もまったくやっていないし、道路脇でもないので、人が通ったり犬の散歩で誰かが歩いたりすることもない。要するにあまり汚れる心配がないのです。むふふ。
朝は霜が降りて白かったのですが、昼過ぎに川の法面を焼いた帰りに、あるだけ全部10個ほど摘んできました。えー、フキノトウは蕗の薹ですから、蕗なんですけど、蕗の薹を摘んでも、蕗は出るんや、と母が言うております。ツクシとスギナの関係と同じなんでしょうか。土の中の根は一緒でも、土の上に出てくる姿は違うんでしょうな。動物と違って、植物には植物の、フキノトウにはフキノトウの都合があるんでしょうな。
摘んできたフキノトウ、どうやら天ぷらにしていただけるようです。楽しみ。


11日は東日本大震災から5年ということで、テレビ・ラジオはもちろんネットでも、一日あれこれ現状が報道されていました。
僕は五年前というか、震災後の4月頃だったかに読んだ、災害医療スタッフとして陸前高田に来られた看護士さんのブログが忘れられません。僕は話題になりはじめてから読みはじめたのですが。
五年経ってみると災害支援のうまくいっていないことも見えはじめるのですが、震災が起こった当時の、あの生々しい津波の映像を見せられたときの、ざわざわした感じや、戦後最大の日本の危機とみんなが思い、みんなが口にしたあの時の衝撃を思い出させてくれるような気がして少し読み直してみたりする。僕は当時、その災害医療スタッフとしてやってきた若い看護士さんの文章のあちこちに心がふるえたり、尊敬したりしたのだが、一番印象に残ったのは、彼女がドリカムの「何度でも」の曲に背中をおしてもらうようにして頑張れたというような記述でした。
で、2011年の8月19日に陸前高田にドリカムが来たときの映像がYouTubeにアップされていて、僕は何度か観ています。アップしたのはもちろん別の誰かでしょうが、「2011/09/11 にアップロード/ ドリカムが、8月19日被災地陸前高田に来てくれました。6曲歌ってくれましたが、後半3曲だけ撮れました。」というコメント。3曲ともアップされていますが、最後の「何度でも」を貼り付けておきます。