現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

疲労が耳の後ろに漂っている


ヌカ(籾殻)すて。籾擦り。出荷。籾殻捨て。稲刈り。籾擦り。と、朝から頑張りました。


ええ、今年の稲刈りは8月28日から例年より少し早めにスタート。えーっと今日は9月25日かぁ。うちの刈取りの機械や乾燥施設の能力、また人員をかんがみて、播種や田植えの時期の分散、それから品種による収穫時期の分散をしているので、もうすぐ稲刈り期間も一月になろうとしています。ええ、正直、疲労が身体のあちこちに溜まってきていて、特に耳の後ろあたりでブンブンとうるさいくらい疲労が唸っているのですが(笑)・・・。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という小学五年生の時に教えていただいた古代ローマ箴言が、この歳になっても忘れられないでいる。忘れられないでいるのだが、「健全なる肉体」と教えてもらったのか、「健全なる身体」と教えてもらったのか、あいまいです。僕は「健全なる肉体」と習ったと思うのですが、曖昧です。
「じゃ、健全なる肉体、健全なる身体でなくては、健全なる精神は宿らないのか。」と高校の人権学習の授業の時に発言した級友がいて、大いにハッとさせられた記憶も忘れられない。


検索したら、どうも、ローマの詩人ユベナリスの『風刺詩集』にある「大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿るようように祈らなければならない」の一部が訳され広まった言葉」ということらしい。と出てきたのだが、さらにあれこれ検索を続けたら、ユベナリスの詩をざっと訳すと「人々は間違ったことばかりを神様にお願いしている。例えば金持ちになること、 例えば長生き、例えば美貌。しかし、これらはなかなか手に入りにくいだけでな く、手に入ったところで決して持ち主を幸福にはしない。金持ちになっても泥棒の 心配が増えるだけ。長生きしても、もうろくした人生にいいことはない。美人にな っても不倫に陥って苦しむだけだ。「心身ともに健康であること」。願うならこの 程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入っ たことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを 抱いてはいけない。」という詩なんだ、という解説も出てきました。
なるほど心身ともに健康でありたい、ということなら、いつも祈り願っている。


ありがたいことに健康で丈夫な身体ではあるのだが、ここに疲労が重なってくると、それは健康な身体と言っていいのか。もちろん疲労の重なり具合にもよるのだが。
今の私に必要なのは、睡眠です。時間です。ビールです。ゆっくり静かに血液やリンパ液を身体にめぐらせて、疲労物質を息と汗とオシッコとウンチの中に混ぜてすばやく排出したいです。


そんなこんなで落語を聞いたりブルース・スプリングスティーンを聴きながら眠っている。というか、眠りたいと思っている。というか、眠るつもりだ。