朝から晴れたけれど、朝はよく冷えました。陽射しがあってもわりと寒かったです。午後からは雲が多くなってきました。
午前中は精米など。
午後は農協へ締め切り過ぎの書類提出。やれやれ。
その後、軽トラのタイヤ代を支払いに行ったりする。
あたたかき飯くふことをたのしみて今しばらくは生きざらめやも
斎藤茂吉の晩年の詠。今朝の新聞のコラムにちょろっと載っていた。嵐山光三郎は茂吉のことを「もの食う歌人」と称したらしい。
「ざらめやも」とかちょっとわかりにくいですが、「ざら」は打ち消しの「ず」、「め」は推量意志の「む」、「やも」は反語ですね。「生きないことがあろうか、いや、きっと生きていくのだろうなぁ」というような意味なんでしょう。「死にたまふ母」の連作はいつ読んでも、何度読んでも、ええ、まだうちの母は健在ですけれど、いよいよ胸を打つなぁ、と思っているところです。さっき読みました。一つだけ紹介します。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはず天に聞ゆる
カエルの鳴き声は確かに茂吉の慟哭のようです。さらに申せば、コロナの世の中では死に近き母に添寝など、いよいよできませんね。
医師であり、大歌人であった茂吉ですが、養父の医院が焼けたり、夫婦関係がもめたり、まあ、我々と同じようにすんなりいかない人生も味わうわけですが、ご飯のうまさは晩年まで楽しんでいたようですね。
うちはわりと精米したてのぴかぴかのぬくぬくの飯を毎朝食べられていて、まあ、仕事柄とはいいながら、ありがたいことだなぁ、と思っているのでありました。