現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

鷗外の生誕160年、没後100年のことなど


26日(土)
 少し事務仕事。晴れてありがたい。家の裏と作業所の間は日が当たらないし、屋根から落ちてくる雪が溜まるので、どうしても最後まで残ってしまう。もちろんほっておいても暖かくなれば解けてなくなるのだけれど。ま、運動不足の解消も兼ねて、屋根から落ちて溜まって凍っていた雪を今日はスコップで少し割りながら裏の川に捨てたり、陽のあたる場所に出したりして処理する。
 この二ヶ月の最高気温と降水量のグラフを見ても、今年の冬が寒いのはわかりますね。

 森鷗外は1922(大正11)年、60歳で亡くなりました。今年、生誕160年、没後100年を迎えるそうです。鷗外との出会いは教科書に載っていた『舞姫』でした。「石炭をばはや積み果てつ。」文語文ですから、最初は「なんじゃ、こりゃ?」と思いましたが、うん?と思いながらも二、三ページ読んでいくと、そこそこ抵抗なくするすると読めていくものですな(笑)。文語文ですけれど日本語ですしね。1000年前の平安時代の文章を二年ほど授業で習ってきていたので、100年ほど前の文章なら読める気になったのでしょう(笑)。ええ、明治の官費留学生の大秀才、太田豊太郎は、ある日の夕暮れ「獣苑を漫歩して、ウンテル・デン・リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来」て、エリスに出会うのでした。純愛と葛藤に身をよじるようにして読んだのをよく覚えています。あたしも女性のことは何も知らない18歳でした(笑)。オリンピックだったか、いや違うな、なにかでブランデンブルグ門からスタートするマラソンってなかったですか?テレビ中継でブランデンブルグ門を観て、おお、これが、あの!と思ったのも覚えているのですが。なにかの映画だったのかな?
 大学生になって『青年』とか『雁』から読み出したんですけど、晩年の作品を読み出したらしびれました。『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』とか読んだ順番ははっきりしませんけれど、あのあたりです。そしてさらに史伝を知ります。『澁江抽齋』。これは石川淳森鷗外』を読んだからです。

「抽齋」と「霞亭」といずれを取るかといえば、どうでもよい質問のごとくであろう。だが、わたしは無意味なことはいわないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思っているようなひとびとを、わたしは信用しない。「雁」などは児戯に類する。「山椒大夫」に至っては俗臭芬芬たる駄作である。「百物語」の妙といえども、これを捨てて惜しまない。詩歌翻訳の評判ならば、別席の閑談にゆだねよう。
「抽齋」と「霞亭」と、双方とも結構だとか、撰択は読者の趣味に依るとか、漫然とそう答えるかも知れぬひとびとを、わたしはまた信用しない。この二者撰一に於て、撰ぶ人の文学上のプロフェッシオン・ド・フォアがあらわれるはずである。では、おまえはどうだときかれるであろう。ただちに答える、「抽齋」第一だと。そして附け加える、それはかならずしも「霞亭」を次位に貶すことではないと。

 こんな文章読まされたら、ちょっと『澁江抽齋』を読んでみよう、と誰でも思うでしょう(笑)。でもこの『森鷗外』(岩波文庫)は初めて読む石川淳だったので、もう読みにくい読みにくい。養老孟司先生と同じで頭がいい人や博識な人はすべてを書かないんですね。こんなことはもうみんな知っているだろうからあたしゃ書かないよ、てなもんで。だから読んだんだけれど、最後まで読んだのかな?よくわからないなぁ、と思いながら読んでいたと思います。というかそういう記憶しかない(笑)。だから鷗外の『澁江抽齋』も読む気力を半分なくてしまっていたのですが、・・・。
 でもその後『森鷗外全集』を買うんですね。といっても筑摩書房の創作の作品が中心の全集で8巻のやつで、書簡だの日記だの翻訳なんかは入っていないやつです。あの頃、岩波から新書判サイズの『夏目漱石全集』と『森鷗外選集』がぜんぶ揃って出たんですね。もちろんその時も迷ったんですが、岩波の方はちとバイト代では足りなかった(笑)。筑摩書房のやつを大学生だったので時間はたっぷりあるし、全集を一巻から順番に全部読むことができました。『澁江抽齋』最初は、あれ?と、ちょっと退屈だったのですが、だんだんおもしろくなってきて、ああ、シブイ暮らし、なんちゅうカッコよさ!と思ったのでした。澁江抽齋もそれからその暮らし、秘密を解き明かしていく鷗外もしみじみカッコイイのでした。なるほどなぁ。と思ったのを覚えています。うーむ。でももうほとんど忘れてしまっているなぁ(笑)。再読しなくては。
 ええ、あの丸谷才一も『澁江抽齋』を褒めてます。ええ「近代日本文学の最高峰」だと。石川淳と同じことを言ってます(笑)。まあ、仲間だからね。太宰も安吾石川淳も、カッコいいです。太宰は1909年生まれ。坂口安吾1906年生まれ。石川淳は1899年生まれだそうです。太宰と石川淳は10年も年の差があったのか。ちなみに丸谷才一は1925年生まれです。ええ、私は・・・。って、私の生まれ年はお呼びじゃない、と。しかし生誕160年、没後100年などと記録してもらえるのはさすがですね。ああ、『澁江抽齋』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』の再読は確定申告が終わってからにしなくては(笑)。


 ほんとうは今ごろの時期に「世代をつなぐ農村まるごと保全向上対策事業(まるごと保全隊)」の一環で「そば打ち体験」事業を実施されていたのだが、去年に続き今年も中止。うちの村でも蕎麦を栽培しておられる農家さんがおられるので、その地元の蕎麦粉で打つ二八蕎麦なのでした。挽きたてとはいきませんが、打ちたて、茹でたての蕎麦で、素人の蕎麦打ちではあるのだけれど、うまいんだけれどなぁ。コロナもなかなか収束しませんので、仕方のないことですが。YouTubeに「音で味わう伊吹そば」というのがありました。彦根の宣伝動画ですけれど、いい感じです。


27日(日)
 朝、目を覚ましたら、ふっと気温が高いような気がしたのだが、午前中は曇り空でときどき雨、というお天気。でも昨日今日で田んぼの雪もそこそこ解けて畦畔の土が見えてきました。

 今日は長浜市長選挙の投票日なので、お昼に投票所にいきましたが、今までで一番混んでいたような気がします。たまたまそういう時間帯だったのかな。でもここ数年選挙の投票所の数はどんどん減ってきています。民主主義の根本は選挙だと思うので、よほどのことがない限り投票してきたのですが、投票所の数が減らされていくのは、なんだかなぁ、っておもいますね。要するに役場というか市役所の公務員さんの数も平成の大合併で減ってきて投票所もたくさん作れなくなってきたんでしょうなぁ、たぶん。投票率も下がる一方だし、なんだかなぁ、とボヤキたくなるが・・・。ボヤッキーはロシア人なのかな?ウクライナ人なのかな?まあ、日本人でしょうな。

 じつはロシアのウクライナへの侵攻については、愚行そのものだし、私は人と人が殺し合う戦争なんて断固反対ですけれど、ウクライナの人が泣きながら「戦争は8年前から始まっていました!」とニュースで言ってたのが、胸に刺さりました。