現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

銀杏の落ち葉と『風と共に去りぬ』を初めて観たこと


20日(日)
 朝のうちに賦課金の案内の印刷など。午後、役員さんに配布。それから他所の人の分も印刷して、封筒に入れる。

21日(月)
 午前中は精米など。
 昼に賦課金の案内を郵便局に持っていって発送。役員さんとかにもお世話になり、まだこれからもお世話になりますが、これでなんとか、一段落。うれしい。
 配りモノの帰りに村の氏神さんの銀杏がけっこう落葉していました。幹の周りは真っ黄色になっていました。

 午後、ああ、時間ができた、とほっとしたので、ヴィクター・フレミング監督『風と共に去りぬ』(1939)を観る。初めて観ました。もちろんマーガレットミッチェルの原作も未読。三時間半の大長編映画だけれど、ぐいぐいと引き込まれて一気に観ましたが、ま、やっぱり、ちと長いです。作品賞、監督賞をはじめ10部門のアカデミー賞を独占して、映画史に残る名作ということになっていますが、そうなの?どうなの?
 まあでも1939年に公開の映画ですからね。第2次世界大戦が始まった頃ですからね。太平洋戦争の始まる前です。


 『風と共に去りぬ』の思い出、その一。
 中学生の時、前半と後半と2週に分けてテレビで放送されたんですよね。その時、担任の先生がホームルームで突然おっしゃいました。「君ら、今度、テレビで放送される『風と共に去りぬ』を観ようか、観んとこか、迷うやろう。次の日が大会やから。」その担任の先生は当時男子バレーボール部の顧問でもあって熱心に指導されていたんですよね。それで大会の前夜に遅くまでテレビで放送される映画を観てたらあかんよ、という意味でおっしゃったのかもしれませんが、中学生だった僕は『風と共に去りぬ』については、まったく知らずにいて興味もなかったのです。ただ「へー、担任のY先生は『風と共に去りぬ』を観たいんだな」ということと「『風と共に去りぬ』はすごい映画なんだろうな」ということを思ったのを覚えています。担任のY先生は、自分は映画好きなんだ、と何度かおっしゃってましたから。007シリーズでは「ロシアより愛をこめて」が一番おもしろかったな。みたいなことも何度か話してくださっていたんです。ま、結局、僕は2週連続でテレビ放送されたのも観ませんでしたが、『風と共に去りぬ』の評判の高さは、その時思い知ったわけです。

 『風と共に去りぬ』の思い出、その二。
 中学生になるとラジオのFM局から流れてくる局をラジカセに録音する(当時はエアチェックする、と言ってました。)ことを覚え、ラジオからは「映画音楽特集」の番組もよくあったのです。で、この『風と共に去りぬ』のメインテーマ曲もよく流れていたのを覚えているしカセットテープに録音したかもしれないのですが、このメインテーマ曲は耳に覚えてしまっていました。ラジオのDJは「映画『風と共に去りぬ』からメインテーマの “タラのテーマ”  です。」なんて言うんですよね。“タラのテーマ” ?タラ、って何?となりますよね、普通。で、何も知らない中学生はタラってあの魚のタラ?と必然的に考えるわけです。でも、まさかね?とずーっと解決されないまま疑問に思っていました。

 その疑問が今日、50年ぶりに映画を観て解決しました(笑)。誰かもっと早く教えてくれよぉ。僕も タラって何?と誰にも質問できなかったし、ラジオのDJも “タラのテーマ”  です、とは言っても、タラとは何かは説明しなかったですね。
 映画のエンディングで「お前にとってタラの土地は何の意味もないかもしれんが、この世で一番価値のあるものは土地だ。」「僕より愛しているものがある。君の生き甲斐、タラだよ。」 「生きる力を与えてくれるのはタラの赤い土だ。」というナレーションが繰り返されます。そうしてスカーレット・オハラの半生を描いた映画だけれど、スカーレットの半生はとりもなおさずタラの土とともにあるのだ、ということを刻まれるのですな。

 ヴィヴィアン・リークラーク・ゲーブルも頑張っていましたね。もっとも最初の40分ほどのヴィヴィアン・リーの演技はコメディかと思わせられましたし、クラーク・ゲーブルも最初は妙にニヤけた、いけ好かない野郎に思わせられましたが、だんだん二人とも美しくカッコよくなっていきます。メラニー役のオリヴィア・デ・ハヴィランドもすばらしかったです。
 それから映画を観て、ああ、アメリカの南北戦争について、何にも知らなかったんだな、ということもわかりました。

22日(火) 二十四節気の「小雪
 朝のビビ号のの散歩につきあう。今日は青空が見えています。