現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

あれやこれやで大麦の播種がはじまったこと。

21日(土)
 朝、雨。風が冷たい一日。
 午前中は精米など。長浜の本局の郵便局に寄ってお米を発送し、彦根まで毎年お米をご注文いただいているところへお米の配達。昔お世話になった方なので毎年近況の報告がてら顔を見せに配達させてもらっているのだが、今回は調子が悪く入院されたということで顔を見ることも見せることも出来ませんでした。早くよくなっていただきたいのですが、出てこられた息子さんのお嫁さんが知っている人だったので、世の中、広いようで狭く、人の縁の不思議に驚いたりする。
 帰りに鳥居本の「百百百百」さんで蕎麦をたぐって帰る。

 18時から農事組合の中間認定会。

22日(日)
 起きたら5時過ぎで、南アフリカイングランドの準決勝の後半でした。最後試合終了三分前にキックで南アフリカが逆転。たぶんわりと劇的な展開。昨日のニュージーランドとアルゼンチン戦とは対照的にオープンにパスを展開するというゲームではなくてぶつかり合う展開。なるほど。
 日本がキックパスを使う場面をあまり見たことない気がするけれど、決勝トーナメントの8強のゲームではキックパスが目立ちますね。ドロップゴールとか。まあ戦略が違うんだと思いますが、うまく運ぶとキックは前に蹴れますからね。いやいや、にわかファンですのでトンチンカンかもしれません(笑)。

 午前中は精米と発送。長浜の本局から発送して帰りに丸亀製麺で「牛すき釜玉」の幟がはためいていて、心動かされ、おもわず入って注文してしまう(笑)。
 牛すき焼きを任されていたのはたぶん新人の僕より年上のおばちゃんで、僕よりちょっと年下のレジも担当していたおばちゃんから「真ん中を少しあけてそこに卵をおとすの!」と指導を受けて、その時に「はい!」と張りのある声で元気よくスバラシイ返事をしていて、僕の目の前だったので、感心というか感動してしまって、おおおおおお!と思ってしまいました。女性の年齢は本当に私はわからなくて、あとで叱られたりすることを繰り返してきたので、自信はないですが、60代ですね。たぶん私より年上。感心してお顔を見たのですが、その方はすき焼きに集中していますから、はっきりとは顔はわからず。この秋限定の特別メニューの「牛すき釜玉」のすき焼き部門を任されておられるのですから、決して新人さんではないと思いますが。お味は少し甘めの味付けですが、おいしくもちろん文句は何もありません。また「牛すき釜玉」を食べてみたくなりました。仕事には人柄が出るんですよね。そうして人柄に接すると人は親近感をもちますね。ええ、いまさら、いわずもがなですけど。

 午後はテレビで囲碁対局を見たり。ゴロゴロしてしまう。

23日(月)
 午前中は精米など。
 午後は大麦の播種の準備でトラクタにシーダー(播種機)を付けたり。

24日(火) 二十四節気の「霜降
 午前中は精米など。
 お昼前からあれこれ準備をして確認して、午後は大麦の播種の試運転。一枚だけ播種する。
 ありがたいことにわりとうまく播種できました。この調子で明日は午前中から播種する予定です。

25日(水)
 朝から大麦の播種。ま、小さなトラブルはあったが、ま、臨機応変に対応していくしかない。
 今日は朝から雷雨の可能性があります。上空に寒気が入ってきています、とお天気おねーさんがおっしゃっていた通り、昼過ぎから雷鳴がしたり、入道雲がもくもくしているのが見えましたが、雨は降らずにすみました。ありがたいです。
 でもトラクタに乗って播種を請け負っている長男は夕方に散髪の予約を入れてあるので、とニヤニヤとして早々に作業現場から離脱。ま、いささか僕の感覚からは外れているのだが、仕方がない、と思うことにしている。

26日(木)
 朝のうちは精米など。
 その後は日没まで大麦の播種。僕は昼食休憩がとれたが、長男は昼食休憩なしで日没過ぎまで動いてくれた。
 明日は午後雨の予報ということもあって、なんとか今日のうちに大きい田んぼの播種は終わらせたかったのだ。
 僕も疲労困憊なのだが、長男はそれ以上だと思うのでさて明日はどうするか。


↑ガラス瓶に入っているインクが少なくなって万年筆がインクを吸い上げなくなってきたので、セーラー万年筆がだしているつけペンでインクを使い切ることにしています。なかなか書写の上達もありません。ま、丁寧には書かなくては。

↓大麦の播種の日々。田んぼに立つのは農機センターのKさん。



↑軽トラの荷台、大麦の播種時はこんな感じ。そうして大麦のタネ。

石川啄木の歌の中で、たぶん一番好きな歌。でも若いときは友がみな我よりえらくみえたときもありましなぁ。
もっとも花を買い来て妻としたしんだことはなかったんですが。
もちろん「えらい」という基準などあるわけもないんですけど、要するに時々自信がなくなるときもありますし、嫉妬もわきますわね。
若いときはなにかと競争しますから。
出世とか年収とか、人のありように勝ち負けなどないということは、よくわかっているのですが、白黒をつけたがるし、勝ち負けということが意識の隅から離れません。
人間関係というか、人事がすべてみたいな。暮らしの外側に広がっている自然の営みには気がつかない時期もありますし。
でもなんですな、世間でいう定年退職の年齢ぐらいになるとまたちょっと違ってきます。定年退職は給料取りの社会だけの話で、定年退職のない暮らしも、そこそこあることに気がつきます。
定年退職のない暮らしというのは、働き続けるということですけど、身体が健康なら働くことは意義あることだし、遊びはたまに遊ぶからこそ楽しい気がするし。そういえば、世の中には働くことと遊ぶことが一緒という人もたくさんおられますね。仕事が楽しくて遊んでいるのと同じように楽しい人。遊んでいたらそれが仕事になってしまった人。いや、たくさんにはいないか。
どうなんだろう、朝寝、朝酒、朝湯というような暮らしも一ヶ月ぐらいしてみたいな。あーた、農閑期ならやってるんじゃないの?と言われそうだけど、めっそうもありません、というところです(笑)。
というわけで、今回も支離滅裂でまとまりのないブログです。たぶん私がそういう暮らしをしているということなんでしょうな。いやはや。