現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

新しい万年筆と『不揃いの木を組む』

8日(金)
 朝のうちに精米など。
 午後は例のチッパー作業に出たが、作業をはじめる前に雨になる。チップ化には湿り気、水分はよくないというので、作業はすぐに中止になる。やれやれ。

 さっき、新しい万年筆が届いた。新品を買ってしまった。とりあえず試し書き(笑)。比較のために今ちょっと使っていたのと比べてみました。ふむふむ。なるほど。

 これは僕の個人的なあれだけど、万年筆のペン先はだんだん固くなってきているような気がします。50年代とか60年代の古い万年筆はけっこうペン先が軟らかいのが多くて、軟らかいとペン先がしなりますよね。しなるとペン先が割れて広がります、そこへインクが流れれば太い線が引けますね。筆圧の違いによって線の太さが変わります。まあ、感じは違うけど筆で書く感じに近くなります。でもインクは毛細管現象でペン先に流れていくわけで、ペン先が割れて広がれば毛細管ではなくなりますからインクがペン先に届きにくくなりますね。すると、掠(かす)れます。〔コンピュータの漢字変換で「掠れる」「擦れる」なんて出てくるから、漢字にしましたが、万年筆で書いていたなら、辞書を引かないと書けない漢字ですな。たぶん読むのも辞書を引いたかも。〕実際に古くて柔らかいペン先の万年筆だとわりと調整してもらっていても、書き出しのところで擦れることがよくあったんですね。一番右の400NNも軟らかいペン先で、よく擦れていました。これも調整してもらっている万年筆なんですけどね。それで線を引くスピードを落してゆっくり書くということで対処していたわけです。でもね、つい4日ほど前にあることに気がつきました。
 僕はもともと筆圧がとても高くて、小学校の低学年の時からよく先生に注意されていたんです。高いのは筆圧だけかと思っていたら鉛筆を握る力も高かったんですよね。要するに鉛筆をぎゅっと強く握って書いていたんです。ですから高校生ぐらいの時には右手の中指に巨大ペンダコというか鉛筆ダコができて、爪も変形していました。と書くと僕がいかにも勉強熱心な青年に見えるようで笑えますが、要するに鉛筆を握る力が強かったんですね。今でもあるのかなぁ、当時、体力測定とかスポーツテストというのが学校であって、私の自慢は肺活量と握力と鉄棒の懸垂の回数でした。いや鉛筆を握る力が強かったのが、握力につながったのかな?と今、一瞬思っただけですけど。ああ、なんという立派な高校生だったんだ(笑)。でもね当時は鉛筆を軽く握ると線がふらつくんですよね(笑)。いや、そんなに軽く握る必要もなかったんでしょうけれど、加減が難しかったですね。
 ワープロやパーソナルコンピュータが普及して鉛筆やボールペンを握ることが少なくなって、ある時、字の稽古が必要だと初めて心の底から思って、独学で、独自に、ポツポツと稽古するようになったのですが、その時に鉛筆やボールペンでなくて万年筆を筆記具として選んだんです。軽い筆圧で書ける。軽い筆圧で書くのが望ましい、というのが万年筆だと知ったので。万年筆で稽古するようになって、確かに筆圧もペンを握る力も軽くなったように思います。ペンダコも小さくなりました。あ、でも百姓仕事で指は太くなったような気がするのですが、ペンダコは残っていますが、あきらかに消えつつあります。
 で話は元に戻りますが、柔らかいペン先の万年筆の出だしの擦れ。これはいつもより万年筆を寝かせることで大きく解消することができました。鉛筆は立てても寝かせても同じように書けますね。素晴らしいです。ま、先が丸くなってくると線の太さが変わりますが。ボールペンはその構造上寝かせるとうまく書けません。立てた方がインクはよく出ます。そしてある程度の筆圧も必要ですね。万年筆はやや寝かせて書く方がいい、というのはどこかで読んで知ってはいたのですが、鉛筆やペンの持ち方というのは意識しないとそうそう変えられませんしね。
 日本語は縦書きすると右から左へと行が移動していきますが、これがあーた、右利きですと書いた字を右手でこすることになります。鉛筆だと手もノートも黒く汚れることがありますし、インクでも早く乾かないと同様に汚します。日本の万年筆が海外の万年筆に比べて同じ細字(F)でも、線が細いのは、インクが早く乾くようにということなのかなぁ。
 で、インクで汚さないようにするには、万年筆を長く持って右手でこするまでの時間をかせぐようにするのも一つの手段だと気がつくわけです。ペン先を持たずにペンの中ほどに近いところを持つわけです。すると書いた文字の上に右手が乗るまでに1行か2行ほど稼げるわけです。この中ほどを持つという持ち方、握り方を覚えると万年筆をかるく持つ、軽く握るということができるようになりました。
 で、あーた、縦書きで、何字書いたら右手の位置を動かしますか?一字書くごとに動かす人は少ないと思います。字の大きさにもよりますが、二字か三字ぐらい書いて動かしてないですか?小さい字だと四字ぐらい動かさずに書けたりします。鉛筆やボールペンだと比較的立てて書くことができるのでそうすることができます。で、万年筆でもそうしがちになるんです。三字目、四字目になってくると万年筆が立ってきます。縦書きだと行の最初の頃はペンが寝ていますが、行の終りの方だとペンが立ちがちになります。
 ああ、長々と書いてきましたが(私はみなさんから説明が長い、くどい、とよく言われます。ええ、「噛んで含めるような」と言えばあれですけど)要するに、何がいいたいかというと、ちょっと寝かせ加減になるように、ペンの持ち方、そして姿勢を正すと、昔のペン先の柔らかい万年筆も擦れることがぐっと少なくなる、ということに気がついたんです。この400NNは買ってから5年ほどになるので、これまではちょっと使いづらい難儀な万年筆だったのですが、ぐっと使いやすくなりました。そうか昔の柔らかいペン先の万年筆はこういう風に使うんだ、と気がついたんです。ええ、気がつくまでに時間がかかりましたが(笑)。
 するとこれまですこし敬遠してきた柔らかいペン先の万年筆に俄然興味が出てきて、現代の柔らかいペン先といわれている万年筆が欲しくなってしまったんですねぇ。極細字も細字も中字もありましたが、細字にしてみました。細字ですが軟らかいので軟細字でソフトファインでSFですな。ええ、試し書きしてみましたが、思ったほど柔らかくないですね。軟らかいけど芯がある感じ。
 モンブランなんかは、70年代ぐらいからペン先はどんどん硬くなってきているそうです。今のやつは確かにビシッと硬くて、インクはヌラヌラとよく出ます。硬い方が長文を速く書くには書きやすいんでしょうね。硬いといってもボールペンほどではないですからね。というかみんながボールペンに慣れてきて、硬いペン先指向になってきたのかもしれませんね。

 小川三夫『不揃いの木を組む』(草思社)読了。おもしろかったです。法隆寺の宮細工の西岡常一棟梁のお弟子さんですね。僕は西岡常一棟梁の本が好きで、それは棟梁だけに大工の腕はもちろんですが、人を束ねるのが大きな仕事ですから、リーダー論とか、教育論みたいなところで話題になったんですね。もう三十年ほども前ですけどね。この本も2001年に出た本です。
 二人とも宮大工の職人さんですから、身体で覚える、ということが基本にあるんですね。繰り返し繰り返しやって身体に覚えさせるわけですね。頭で考えるんじゃないんですね、いや、頭で考えるんですけど、現場ではいちいち考えていたんでは間に合いませんからね。ただ身体で覚える、身体に覚えさせる、という訓練は、自分の頭で考えるということにつながっていくような気がするんです。「学ぶ」というとき、たとえば読書することはたくさん頭に刺激を受けて勉強になりますけれど、読むということは、誰か他人が考えたことを学ぶということですね。そうして本来読書は、他人が考えたことを学んで、その次に、そこから自分の頭で考える、自分の経験、体験を通して考えるということにつながっていくべきものなんだろうと思うんですね。だから小川三夫さんも弟子たちにあまり教えないんだそうです。教えても理解できるものでもないし、やってみて自分で気がつき、自分で考えて、身に付け覚えていくものだ、というようなところが、私は一番印象に残りました。まあ、まっとうな勉強の仕方だと思います。時間はかかるでしょうけれど。経験するチャンスを与える。自分の頭で何度も何度も考えて、それでもわからないことだけを師匠に訊ねる。
 腕に職をつける。食べていけるための技術を身に付ける、というのは、また学校教育とは違う面もありますわね。

9日(土)
 終日、雪降り。朝は少し積もっていましたが、その後すぐ解けましたが、雪はずっと降ったり止んだりでした。
 午前中、精米など。午後は読書と昼寝。ああ。

 書き忘れるところだったけれど、今回の棋聖戦七番勝負、最終第七局までいきましたが、応援している井山裕太王座の棋聖奪還はなりませんでした。残念。ホントに残念。でもね、第七局二日目の最後のところ。もうね、誰が見ても勝負は決しているような感じだったんですが(私にはよくわからなかったですが、AIの形勢判断は1%と99%になっていました。)最後まで、井山さん粘るんですよ。粘りに粘る。よかったなぁ。泣けるぜ。あの粘りは4200万円の賞金のことだけではないはず。