現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

『藤沢周平全集』読了。

藤沢周平

このところ妙な夢をみることがあって。今朝も僕がNHK紅白歌合戦に出場することが決まってそのリハーサル直前という夢をみた。僕はどうやらピアノを弾きながら歌うことになっているようなのだが、ところがというかもちろんというか僕はピアノが弾けないのだ。バックのビッグバンドはいるのだが、バンドリーダーは僕のピアノのイントロに合わせてバンドはやりますから、などと笑顔で打ち合わせて来てくださっているのがだが、弾けないものは弾けないのだ。しょうがない、ピアノはやめてハーモニカでやろう、と覚悟を決めてステージの脇に立ったところで夢から覚めた。いやはや。


妙な夢をみたものだ、と思って朝方枕元のライトをつけて、『藤沢周平全集第25巻』を読み始めて、ついに読了。第24巻と第25巻は補巻で平成6年の4月に『藤沢周平全集23巻』が完結してその後の作品やら拾遺の作品文章が収められている。びっくりしたのは「書き遺すこと」という藤沢周平が亡くなった平成9年1月に発見された夫人に宛てた文章(書かれたのは平成6年頃ではないかと思われる、って書いてあったけど、要するに遺書ですよね)。夫人への感謝のことばと葬儀のやりかたや娘夫婦や孫への言葉など、なんだか泣けました。


第25巻の解説は編集者の阿部達児氏が書いています。

 しかしあの穏やかな表情の下にどれだけの苦渋が隠されていたかを思うと、心の痛むものがある。藤沢さんは人に忌まわれる病をわずらい、生家の破産を経験し、教師の職を去らざるを得なかった。病癒えたころこんどは最愛の人を失い、世を呪う日々があった。自死まで考えたことは本巻所収渡辺とし氏宛ての手紙にも明らかである。
 もともとこの人には子供の時から仲間外れになる癖があった。疎んじられてそうなるのではなく、自分から進んでそうなるのである。右のような逆境に立ったとき、どれだけ世の中からはみ出していっても不思議はない人だった。それを救ったのは前にも出てきた郷里の先輩・中村さんの教えである。人間は外見より中身だが、じっさいには世間は着ているものや住んでいる家で人を判断する。「よくないことだが、人間がそういう見方をするものだと知っていると、大人になったとき役立つから、おぼえておくとよい」(「役に立つ言葉」)
 中村さんは十五歳の藤沢さんの中に世の中からはみ出していきたがる性格を見て取っていたのだろう。その話が「のどにひっかかった小骨のように」(同上)意識に残っていた藤沢さんは、辛うじて世間にふみとどまり数々の悲しみや恨みと折り合いをつけてあの温和なたたずまいに辿りつき、その過程で「又蔵の火」や「海鳴り」や「玄鳥」やらを生み出したのだった。
 藤沢さんは回想して中村さんの教えに感謝しつつも「しかしそれは、やはり大人の恥部である」(同上)と書くことも忘れない。そして恥部を隠しおおせた人間(それはそれで立派なことだ)よりも、不器用で、あるいは正直すぎて恥部を隠しそこねた人間に筆の力を込めたのである。

1巻から25巻までを順に読むのにずいぶん時間がかかったし、枕頭本にしてほとんどを蒲団の中で読んだので、小説や文章の中身は今や渾然としているのだが、この中村さんの言葉は僕もとても印象に残っているところで、目に一杯涙を溜めて読みました。。
さて全集の別巻には、藤沢周平についていろんな人が書いた文章が収録されています。僕と同じように藤沢周平に感動したたくさんの人たちと「うんうん、そうだそうだ」と共感しあいたい気持ちでいっぱいです。


ペンで写真を見ながら描いてみたんだけど、ぜんぜん似てないのが辛い。なにがいけないんだ?
2006年の1月12日に『藤沢周平全集第2巻』を図書館で借りたとブログに書いてありました。第1巻は貸し出し中で第2巻から読み出したのでした。25巻を読了するのに三年ほどかかったことになります。やれやれ。