現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

簡易車庫と美しい泥と「シェナンドー」


三月尽。
昨日の雨も上がって、朝から晴れてきた。ありがたい。
でも風が冷たい。それにしても昨夜の風はすごかったですな。

今日も簡易車庫の組立。屋根の傾斜を三角形の相似を利用して計算して、柱にする単管のパイプをディスクグラインダーで切断。僕の使い方も慣れないから悪いのだろうが、グラインダーの砥石って、わりと早く切れなくなるんですな。8本切断するのに2枚も使ってしまったが・・・。


とにかく屋根の傾斜部分の長さも三平方の定理で計算したのだが、うーむ。ピタゴラスはエライ!


で、一昨日の続きで、穴を掘り、コンクリートの塊を埋めて、柱にするパイプを立ててみた。ま、よくわからないが、なんとか少し形になってきた(笑)。相似や三平方の定理を机上で計算しているが、実際の現場でどれぐらい再現できているかは、まだよくわからない。
というか単管とクランプをつかってものを作るのが初めてなので、もう一つ全体のだいたいはわかっているのだが、細かいところが見えていないのだ。


明日から消費税があがることもあってか、ガソリンスタンドが大混雑していた。夜、用事で外へ出たのだが、用事の合間に時間があったので、喫茶店に入ったら、アルバイトらしい男の子が新しいメニューの準備をしていた。この喫茶店も明日から値上げされるらしい。コーヒーはたいていキリマンジャロを注文するのだが、ウェイターのお兄さんが、いつもは一杯900円のコーヒーが今日だけ500円にさせてもらっています。などと言うので、それを注文してみた。パナマの新しい農園のコーヒー豆らしい。酸味のある華やかな香りだった。


今朝の中日春秋のコラム
三月が終わる。<だいせんじがけだらなよさ>と口にしてみる。詩人で劇作家の寺山修司が書いた。「さみしくなるといってみる。ひとりぼっちのおまじない」だという▼卒業そして、就職、進学。新たな人生の道に向かうための別れの季節でもあった。地元、親元を離れることになった若い人もいるだろう▼「巣立ち」。子どもの方は心が沸き立つ旅立ちかもしれぬが、親の方は寂しい。喜びの半面、子の幼き日を思い、己の人生をかみしめる。自分が親から離れた、遠い日のことまで思い出すものであろう。三月最後の週末にそんな別れの時を過ごした家庭もあるのではないか▼「ピン札に泥が付いている。おまえのおやじの手についていた泥だろう。オレは受け取れん。おまえの宝にしろ」。トラック運転手(古尾谷雅人)が同乗する純(吉岡秀隆)に向かって言う。倉本聡さんの「北の国から」にこんな場面があった。純は中学を卒業し、東京へ行く。お金は父親(田中邦衛)が苦労して用意した▼親が用意してくれたすべてのものには美しい泥が付いている。旅立つ子はそれを忘れないでほしい▼おまじないは逆さに読む。唐詩の「人生足別離」を井伏鱒二が訳した。太宰治が引用し「私たちは常に惜別の情の中に生きている−」と書いた。寺山は逆さにした。寂しさのあまりにひっくり返したくなる気持ちは分かる。


“親が用意してくれたすべてのものには美しい泥が付いている。” うーむ。若いときには、なかなか気がつかなかったです。


上の画像は夕暮れのちょっと暗くなってきた時間の写真なんですが、種取り用の菜の花が咲きはじめました。うれしいです。


今日は朝からアメリカ民謡の「シェナンドー」という曲を繰り返し聴いている。Pete SeegerやらBruce SpringsteenKeith Jarrettのを友人のK君に教えてもらったのだ。どれもとてもいい感じ。歌詞はいろんなバージョンがあるようですね。おもわず、SpringsteenとKeith JarrettのCDを買ってしまいました。